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人の目を気にしている時間はない

最近、ひろゆきさんの声を使って発信していたりしているので色々な方からメッセージを頂きます。

9.5割は「好き」とか「笑った」とかですが
中には「がっかりした」というお声を頂きます。

色々なご意見を頂く中で
「がっかりした」というメッセージを頂いたとき
浮かんだ言葉は

「うん、分かるよ😌」でした。

わたしも自分の発信を見ている側だったら
ひろゆきさんの声を使っているリールはあまり好みではないし、反応することはないかもしれません。
でも、わたしがSNSをする目的はただひとつ

「骨格メソッドを知ってもらうきっかけを作る」
なので、私の投稿が私の好みかどうか、特定の誰かに好かれるかどうかはあまり関係ないんです。(それでもやっぱり、好き!のメッセージは嬉しいですよ。人間だもの。)

世の中には、私に似ている人もいれば、そうじゃない人もいる。
自分で言うのも何ですが私は結構、真面目なタイプです。
だから真面目な投稿をする方が性に合っています。

でも、自分の得意な発信や好きな投稿だけでは、出逢える人は限られる。
だから色々な角度や出し方で投稿するようにしています。

私には面白い投稿をする脳は、ありません。
ひろゆきさんの声をお借りすることのメリットは私が真面目に書いた文も面白く聞こえてくることです。
(そして、滑舌があまり良くない私にとってAI音声はとっっても有難い🙏)

もし私の投稿で誰かをがっかりさせることがあったら、ごめんなさい。

でも、私のやるべきことは自分が楽しく、無理なく発信し続けることであって
誰かの期待に応えることではない、ということです。

振り返れば私は「誰かの期待に応える」努力をして何度も闇に落ちたことがあります。

「妻/嫁はこうあるべきだ」という期待。
「自分のステータスにあった行動をすべきだ」という期待。

誰かの期待に応えようとすればするほど、
自分がこの人生で本当にやるべきこと(やりたいこと)を見失い、
そしてストレスは溜まり、限界を超えて爆発する。

人の期待に応えている限り、この繰り返しです。

日本でもそうだとは思いますが
インドではまだまだ「こうあるべき」の固定観念が強くあります。

最近私は「歩くこと」の投稿をよくしていますが、
デリーでは女性一人で出歩くのは
「車を持てない労働階級の人がすること」と考える人が少なくありません。
(日本人が一人で交通量が多い交差点を渡ったりしているのでよく二度見されます。笑)

でも、私たちは他人の固定観念に応えて生きる必要は全くないんですよ。

私は、身近な家族の固定観念に応えるのをやめたことで何度も家族をがっかりさせ、怒らせてきました。

それでも「自分の納得いく生き方」を選んできた訳なので、自分ではない誰かの期待に応えることができない覚悟は、できているつもりです。

これを読んでくださっている方もすでにご存知の通り
人生は「誰にどう思われるか」を気にしているほど長くないんですよね。

自分ではない誰かではなく
「自分自身をがっかりさせないこと」のほうが私にとってはよっぽど大切です。

投稿や発信も、私にとっては残された人生の時間を使っている「自分の人生の一部」。

誰かの期待に応えることができない覚悟を持って、私は今日も発信していきます。

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