あの頃の無力感の正体

 仮眠で寝過ぎてしまいこの時間に眠気がなくなったので、ふと思い出したことを書き連ねることにしました。それは、学生時代のあの陰鬱とした気分はなんだったのかという事についてです。

 私の学生時代は、決して明るいものであったとは言えませんが、その分暗いものであったとも言えないものでした。ただ、私は日々無力感に苛まれ、やるせ無い日々を送ることが多かったかのように思います。

 特に印象に残ってるのは、所持金が3桁しかなくなり、食事を抜いていた頃のことです。断っておきますが、当時の私はギャンブルは全くやらない、バイトは上限までしている、実家暮らしと、どちらかと言ったら側から見たら余裕のある学生のムーブをしていました。

 しかし、実態は違います。

 こう言っては何ですが、実家暮らしとは言っても家庭は裕福ではなく、私は都営団地住まい、そこから一時間ほど掛けて通学をしていました。ですので、そう言った事情もあり、私は交通費、食費は自分で稼いだ金で賄っていました。

 加えて、大学時代はやりたいことをやっておきたいという気持ちはあったので、体育会の部活動もやっており、部費や道具代等、常に金が掛かる生活をしていました。今になって思うのですが、これはどちらかと言えば家庭が裕福な人向けのものであった気がします。本来、自由とは言っても、自分のようなタイプは部活に精を出すのではなく、バイトに精を出してひたすら稼ぐ、というのが正解だったのかもしれません。ただ、やりたいから選んだことに後悔はしていないし、それで選択肢を絞られるのはそれこそ不自由です。

 では、結局私の感じていたものは何だったのかというと、「広い世界の中で何もできないことを痛感させられた」ことによる無力感であった、と考えています。

 卒業から3年経ち、私はそこそこ安定して高い収入を得られています。この収入による精神的な安定は計り知れないのですが、それと同時に収入によって自分は出来るという自信をつけてもらったような気がしています。

 ただ、学生の頃はその収入が限られたものしかなく、かなり動きに制限があった。一方で、周りの大学で体育会に入るような人間は、それなりの余裕を持った家庭を出てきている。だからこそ、自由にやれている。このギャップが私を苦しめたのだと、今ならわかります。

 例えば、海外に行きたいと言えばポンと資金を出してもらえる家が間近にある一方で、自分はその日食べるものも困っている。羨ましく思わないはずがなかったんです。毎日のようにストロング缶を煽り、少しでも安くその差を見ないようにする。それがあの頃の私にできた唯一のことだった。だからこそ、他人から評価されてもどこか自信がなく、自分は足りていない、他の人と同じラインに立っていないと思い続けた。正直言って、あの頃の自分には同情します。

 ただ、世界が広くなった今でこそ分かるのは、もっと自分で何とかすることもできたとは思うのです。これほど今余裕が出たわけで、なんなら借金をしてでも一人暮らしをしても良かったのかもしれないとも思います。(あの頃の自分は今でも見てられないので、その手助けができるなら、今の自分の資金援助は全然可能です。)

 世界を広げようとしないで、社会人になったら世界が広がると思って耐えて待ち続けた。それはある意味では正解だったのかもしれない。ただ、あの頃の自分にとっては、絶対に不正解です。もっと我儘に生きてよかった。今の自分から見たら、そう思う。

 と言うのも、私は社会人になってから全てが立ち行かなくなり一度全てを諦めて自死を決意したことがありました。その死の淵から這い上がってきた自分は完全に生まれ変わった。その自負があるわけです。

 これも、原因は一つではなく、仕事のストレス、理不尽に加え、交友関係の立ち行かなさや、相談したいと思ってた相手からの裏切りも重なり、兼ねてから交友関係に生かされている考えが強かった私にとって、交友関係がなくなると言うことは生きる意味がない、と言うのに繋がっていたことによります。

 そのような経験をして、這い上がってきた自分は、もっと自分の思うままに動いていい、誰かに気を使うなんてどうでもいいと思えるようになり、すごい楽になりました。

 この経験がなかったら、私はこうはなれなかったし、あの頃の無力感を見つめることもできなかった。ただ、ああいった経験はもう2度とごめんではあります。一度経験された方ならわかると思うのですが、あれは本当に精神の弱さとかではなく完全に病気です。あらゆるものが、簡単なスイッチで自死の方向に行ってしまう。色々なきっかけで自死を選べば楽になると脳がバグを起こしてしまっている。とても苦しいものでした。その後の複数の幸運な出会いにより、私はそこから脱出することが出来ましたが、その出会いがなかったらどうなっていたかは分からない。だからこそ、それに苦しんでいた自分自身を、今の自分が少しでも救えたら。

学生時代の、自分自身に捧げます。


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