"千住の琳派"をみる
「琳派」とは、日本画における流派の一つ。
安土桃山時代に本阿弥光悦と俵屋宗達から始まり、尾形光琳が大成させたことで光琳の名前より「琳派」と呼ぶようになった。その後、酒井抱一や鈴木其一が江戸に琳派を広める。
モティーフとしては風神雷神図や燕子花図あたりが有名かと。
…というのが琳派のざっくり概要。
アイドルが動の趣味だとすると、日本画を見ることは静の趣味である。
「アイドル」というエネルギッシュでキラキラして今を生きている存在に多く触れると、たまに静かなものを思いっきり吸い込みたくなる。
私にとっては表裏一体の趣味である。
西洋画だったり現代アートも見に行ったりするが、日本画の特に瞬間というよりも悠久の時間を切り取っているような、気が遠くなるほどの長い時間の中に自分も揺蕩うような感覚が好きだ。
抱一の八ツ橋図屏風を見た際、その存在に圧倒され、こういった思いが強固になった。
「琳派」というと、枕詞に「江戸」がついてくる印象がある。
それはおそらく見に行く展覧会が抱一や其一をメインとしているものが多かったからだと思うが、そんな中で「千住の琳派」というワードが目に入ってきて、面白い組み合わせの言葉だなあ、というのと、燕子花図が展示されてるらしい、とのことで久々に琳派を見に行ったのだった。
(足立は遠い……)
お目当てとしては燕子花図だったのだが、今までの琳派展では見たことのないような題材の展示が多く、燕子花以上にそちらの印象が強く残った。
琳派は、季節の草花の印象が強い。立葵とか。
そんなわけで、琳派には風雅なイメージを持っていた。
今回の展示の主題が千住・足立で根付いていた琳派ということもあり、鶴や龍、小槌などの縁起物や、高砂図や天神様などの人物図が多く展示されていて、親しみが湧く内容だった。
私にとっての天神様は、祖父母家の床の間に飾られていたシュッとした姿の菅原道真図である。
展示されていた天神様は私の知っている姿よりもふっくらとしており、時代と場所を超えて出会ったちょっと違う姿に、ちょっと違うからこその親しみを感じた。
この展示の背景としては、地元にいた琳派絵師へ地元の名家が掛け軸や屏風などを発注していたものが、時を経て蔵から発見されて千住・足立での琳派研究が進み出した、というところである。
解説の中で出てくる「接骨院」ってなかなか良い響きだなあ。明治時代の〜という記載と一緒だと、「骨を接ぐ」という行為が生々しく思える。
そんなわけで展示や図録の解説も、作品そのものの解説だけにとどまらず、直近10年の区立博物館としての調査活動についても詳細に書かれていて、今まさに動いている研究!というのが伝わってきて面白かった。
美術館や博物館というのは、「保存」という側面が強いものばかりだと思っていたので、旧家や寺院に赴いて、美術品がまだまだ新たに見つかっている…という事実に驚かされる。
落下鶴図という、鶴3羽が下に向かって下降する様子を描いた絵には、軽く異質さを感じたり。
鶴って縁起物なので、それが下に向かうというのは縁起良い…のか…?
鶴のこの構図は今回の展示含め数点しか確認されていないらしい。気になって後で調べてみたけど、全然情報が出てこなかった。
酒合戦も面白い。酒合戦に関する巻物や情報とともに展示されていた、実際に使用されていた特大盃は物語の世界から飛び出してきたようで見ていてワクワクした。
それにしても、作品としてみるお酒ってなんでこんなに美味しそうなんだろう。
また、琳派というと金箔背景のイメージが強かったが、明治期に足立や千住で作成されたものは銀箔の背景のものが多い。ので、現代は背景が黒ずんでしまっていて、当時はどれだけ煌びやかだったんだろうなあ…と思いを馳せた。
一方で金箔はほんと輝きが今も残っていてすごいなあ、と改めたり。
久々に発見!新事実!といった驚きの多い展覧会を見れた気がして、ほくほくとした楽しさのあった体験だった。
たまには足を伸ばしてみるのも良いものである。
ちなみにこちらの博物館は浮世絵も結構所蔵しているようで、そちらも展示の機会で見に行きたいなあと。
それにしても「接骨院」って響き、よいなあ。
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