見出し画像

写真を撮る人の映像

かれこれ何年も映像を撮ってきた。
写真を撮っていた一眼レフに動画機能が付いたから撮り始めたという安直な理由。そんな人もきっと多いかと思う。

「写真屋だから撮れる映像を撮る」というポリシーのもと、映像について勉強をして自分なりに良いものを撮ってきた自負があった。誰よりも映像を観て引き出しも多いと思っていた。スチール用レンズを動画で使うことも難なく熟し、いわゆる被写界深度の浅い映像で満足をしていた。

このコロナ禍で「生配信」という仕事が増え、根っからの本職映像カメラマンとチームを組んで仕事をする機会も増えた。
そこで身にしみたことが「カメラワークは奥が深い」ということと「写真屋(自分)の動画は詰めが甘い」ということだった。
1ショットを切っていくスチールに近い映像の撮影方法についてはそれなりに形になる。それはそれでひとつのスタイルであるとは思う。しかし音楽ライブやドキュメントなどのナマモノを収録する場合のカメラワークや操作、アイデアについては、映像カメラマンの画を観て衝撃的なことばかりだった。

ひとつのカメラで作っていく連続性、同時に回っている他のカメラとの連携、画と画のリアルタイムでの繋がり、観る人に与える印象の作り方など、いわゆる組写真のような作り方だけをしていた自分の映像と比べて、まったく違うところの脳みそと反射神経を使うものだということを知った。

素材を収録して後で編集をするということは以前からやっていたし、番組的なものやメイキングドキュメント、音楽ライブの収録などもやっていた。ただそれは組写真の作り方と同じ。写真と同じ脳みそを使って作っていた。その流れで「映像撮れますよ」と言って臨んだ生配信で、ボッキボキに心を折られた。そして映像カメラマンの腕次第で完全に出来が変わることをまざまざと見せられた。自分のカメラがただのヘタクソだったと気付かされた。

そこからひたすら練習と勉強。幸いにもその驚かされる映像素材を手にして編集するという機会も多かったため、とにかく観て研究した。
なぜ映像カメラマンは3連リングのカメラを使うのかということから覚えた。なんとかして自分の身体に感覚を作る。「カメラの覚え方」はそれしか知らないのでその方法で覚えるしかない。
まる1年経って、ようやくなんとか人に見せられる程度のものを作れるようになってきたと感じ始めた程度だが、コロナ禍の前に撮っていたものが嘘のようだし相手に申し訳ない気持ちすらあるくらい別物になった。

「それっぽく」撮ったモノを「それっぽく」繋いで作った写真屋の映像で満足している人は、一度それを自覚した方がいい。

自分自身が「それっぽい」だけだったという猛省を込めて。

画像1


サポートいただければ、より頑張れます