![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94791766/rectangle_large_type_2_94023aa98eb44dfb60660508053d90fb.jpeg?width=1200)
ブライヌイ「八幡園&中村遊廓跡」
場所:八幡園跡、中村遊廓跡(名古屋)
所要時間:それぞれ30分~1時間程度
名古屋にあった遊郭跡の二箇所が、どちらも建物の解体などが進んでいると聞き、少しでも残っているものを見たいと訪れてみた。
まず八幡園跡。
JR尾頭橋(おとうばし)駅からすぐの場所にある。
中心には尾頭橋公園がある。
GoogleMapで「尾頭橋公園」あたりを眺めてみると、遊郭の特徴である、四角いエリアの四隅に斜めに伸びる道が確認できる。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54234014/picture_pc_12dc2ed0934b3a74b6d85d77a0a9bd3c.jpg?width=1200)
ちょっと分かりにくいけど、斜めに伸びる道。内から外を撮影。
かつて遊郭は周囲を小さな掘や塀で遮断し、出入り口を四つ角のみに斜めに配置したそうだ。
そうする事で外から中の様子が丸見えにならないようにしたという。
この道路はその名残ですね。
逆に中から外の世界が見えないようにする効果もあったのかもしれないと、ふと思った。
某夢の国みたいに。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54234060/picture_pc_ba7b2ca4f84d0048feafab3a2ae74268.jpg?width=1200)
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54234080/picture_pc_9d66678ac7f84ccbb40a9549f29afd28.jpg?width=1200)
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54234101/picture_pc_8ba390de9a35c0e5090267e7e03c4501.jpg?width=1200)
いったん内側に足を踏み入れると、このように風情を残す建物がいくつか現存していた。6,7軒か、あるいはもっとだったか。
そのどれも、今も人が住まわれていると思われる建物ばかりだったので、場所などの詳細は割愛します。
もともとこの八幡園は熱田宿から佐屋街道に出てすぐ、街道の一本裏という立地。
(上記地図の八幡園の南側に少し斜めに延びている道が佐屋街道)
佐屋街道(さやかいどう)は、江戸時代に東海道宮宿(熱田宿とも、現愛知県名古屋市)と桑名宿(現三重県桑名市)の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道である。佐屋路(さやじ)、東海道佐屋廻りとも呼ばれる。
(wikipediaより)
戦前には花柳界八幡連があり、それが戦後に赤線に転向した後、徐々に廃れていったとの事。
花柳界という事は、芸者さんたちの事だよな。
なるほど、元は街道脇にお茶屋的な花街が作られ、それが時代とともに形を変えていったのだろうか。
熱田宿から一歩出た辺り。宿場町の外に設けられた旅人たちの遊び場。
そんなイメージが湧いてくる。
古い建物の合間には新しいマンションなどもどんどん建っていて、若い世代が移り住んでいるとみえ、中心の公園には小さい子供たちの遊び声がずっと聞こえていました。
淫靡な雰囲気はなく、明るい静かな住宅地として再開発中という感じです。
道を曲がる度にまだ残る古い建物を散見でき、歩いていてワクワクするエリアでした。
続いて中村遊廓跡。
地図は割愛しますが、こちらも四角い町割りで、四つ角に斜めに伸びる道が残っていた。
そしてこの地は先ほどの八幡園の割と近くであるが、雰囲気はガラリと違う。
見るからにカラフルなソープランドが何件も立ち並び、狭い道を車がどんどん通り抜け、スーパーの買い物客と思われる人の往来がひっきりなしに続く。
活気とは少し違う、雑多な下町の賑わいである。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54235067/picture_pc_1c0e3dccea15fa8ba052b7f79403bf2f.jpg?width=1200)
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54235142/picture_pc_fd1600064f774b75dfc855eded79a1e5.jpg?width=1200)
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54235253/picture_pc_8d03ccbeef5993d6e28aac1f59992903.jpg?width=1200)
残っている建物も、状態が良いなと思うものはここに挙げた2,3軒程度だったでしょうか。
後はソープランドやマンションに建て変わっていた。
名古屋の遊郭は、徳川家康による飛田屋町廓や徳川宗春による西小路遊廓、富士見原遊廓、葛町遊廓が知られるが、いずれも出現後禁制策がすぐにとられ、長くは続かなかった。
大須・日出町近傍を遊所の区劃と定め、この一廓を「旭廓」と称することとなった。
1912年(明治45年)になり、名古屋市の都市拡大が進み、風紀上の問題が論ぜられるようになったこと、遊郭の発展で手狭になってきたことから、「愛知郡中村」(当時)へ引っ越す事になった。
(Wikipediaより抜粋・要約)
その後関東大震災(1923年)で逃れてきた遊女などを雇い入れた結果、中村遊郭はこの地方随一の大きさに発展したようだ。
遊郭の境を一歩出た所には古くからあるであろう飲み屋小路も発見。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54607521/picture_pc_58c9b5fbb87b8f95b8e38cd54a40fca4.jpg?width=1200)
いいね。遊郭が人で溢れ、収容しきれなくなった活気が外にも溢れ出ていたことを想像させる風情。
魅力的ではあるが、なかなか一見で入るには勇気がいるんだよね、こういう所。
冷やかしでは失礼なので、行くなら腰を据えて飲みたい。
それにしても車や人の往来が多くて驚く。交通の要衝地であることを想像させる。
既に建て替えが必要そうな古いコンクリートマンションや、抜け殻となったスーパー跡地なども見られ、遊郭としての機能が終わった後も早くから住宅地へと転換していった事が想像できた。
元は明治終わりに移転して計画的に作られた場所ゆえ、変わりゆくことに抵抗がないのかもしれない。
故に残っている建物も少ないということか。
令和に入り、また更に変わっていくのであろう。
二箇所の遊郭跡を歩いてみて、距離的にはほど近いのにまったく異なる雰囲気の違いを感じられて面白かった。
中村遊廓跡の方が有名だが、建物を見て回るには八幡園跡がオススメだ。
そのどちらにも、すぐ近くに巨大な病院が建っているのが印象に残った。
※注:この二箇所は別の日(別の季節)に訪れているので、人の往来の印象などは時期によって少し違ったりするのかもしれません。
(八幡園跡は2020年12月、中村遊廓跡は2021年5月)
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【ブライヌイ】
歴史散策が好きで、妻と史跡などを探して町をブラブラしています。
事前に調べ上げて出発する訳ではなく、大雑把な前情報だけで見切り発車。
現地で勘を頼りにブラリ歩き。
ゆえに場所が分からず右往左往する事も。
そんな時間を楽しんでいます。
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