見出し画像

現役国語教員による「文学のすゝめ」の話

一昨日、更新をしたら、後輩A君より、「お、やっと更新したっすやん」とLINEがきました。

え、見てるの?なんならフォローしてくれてるの?
28歳現役国語教員、ハーレー先生です!

先日の投稿で、インスタントコミュニケーション(造語)について話をしました。

では、インスタントではないコミュニケーションとはどのようなものか、またどのようにすれば、インスタントコミュニケーションから脱却ができるのかについて、本日は話をしたいと思います。


こういうのをまとめていたら、いつか出版会社の目に止まるかも…


①ディープ・コミュニケーション

現代社会においては、先日の「今の子どもたちに思うことの話」で書いた通り、「即レス」の文化が大きく影響を及ぼしています。

「即レス」を構造的に捉えると、「①受信②既読/視聴③返信」の三つの工程に人間は終始することになります。

きっかけとなるメッセージを受け取ったら、できる限り速くそのメッセージに対応する必要があり、「速さ=その人の関心度」という構図が成り立ちます。

最近、夏季休業の時間を利用して、様々なビジネス書を読みました。

現在、僕が興味を持っているのが「仕事術」「ワークライフバランス」の二つのテーマです。そのため、関連書籍を手当たり次第購入し読んでみたところ、非常に興味深い共通点が浮かんできました。

それは、「メッセージの返信に時間を置くな」ということでした。
短い時間で、相手が要求する返信をメッセージにし、返信することが社会における「仕事ができる人」になる重要なファクターとなっているのです。

確かに、LINEの返事が早いと少し嬉しくなったり、
noteにスキやコメントをしてもらえると、とても嬉しい気持ちになります。

noteにスキやコメントをしてもらえると、とても嬉しい気持ちになります。

大事なことなので2回言いました。

しかし、本にはこうも書かれていました。

「本当に大切な案件や、思いを伝えたい場合は対面で、最低でも電話で話をすること」

ここが本当の肝なのだろうと思います。

我々人間は、表情や声、身振り手振りなどを通して、文字を読むよりも多くの情報を手にすることで、相手の意図を読み取ることになります。

だからこそ、「本当に大切なこと」は直接話をしないとわからないものなのです。
こうした経験が深く他者と繋がる、「ディープ・コミュニケーション」に繋がっていくのではないでしょうか。

ですが今、僕たちは、「コロナウイルス」という目には見えないウイルスに隔たれ、重要なコミュニケーションツールを活用することができていません。

人と会うことも、話すことすらもどこか罪のような扱いを受け、白い目で見られてしまいます。

そのため、SNSやコミュニケーションツールを活用して、他者とのつながりを何とか保っているというのが現状でしょう。

では、こういったコミュニケーションにおいて、我々が「間違わない」ためにするにはどうしたら良いでしょうか。

そうです、それこそが、「文学を読む」ことなのです。


②文学を読むメリット

文学は、やる意味のない学問として取り上げられがちです。

全国の文学部生は、「どうせ俺たちなんて、作者の気持ちを考えることしかできねえよ」と思いながら、太宰を読み酒を飲み、村上春樹を読みジャズを聴いているのです。

余談ですが、僕は安部公房が好きです。

そんな文学部生に朗報です。

現代社会だからこそ、「文学」を読む意味はある!のです。

文学を読むメリットは、以下の三点です。

①心情を想像する力が身につく
②言葉を学ぶことで世界が広がる
③自分以外の人生を追体験できる

僕が書いている文章をここまで読んでくれている時点で、相当に文学に興味のある人が読んでいるのではないかという疑問はさておき、解説していきたいと思います。

もしかすると、受験にも役立つかもしれませんよ。


①については言わずもがなでは?と思われる識者の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、これは現代社会において最もおざなりにされている行為の一つです。

「即レス」の中に「想像」を挟むだけで、僕たちは間違うことなく他者とコミュニケーションを取ることができるのです。

そのために必要なトレーニングは、「なぜ?」を繰り返しながら小説を読むことです。

小説を最もシンプルに構造化すると、「行動1→心情1→行動2→心情2」のように、「心情は行動によってもたらされ、行動は心情によってもたらされる」という定義が見えてきます。

これが複数の人物と絡み合い、多層化するために複雑に見えます。
この多層化した構造を「なぜ?」という境界線で区切ると、小説の世界は一気に「オモチロイ(©️森見登美彦)」ものとなるのです。

「なぜ、ヒロインは消えてしまったのか」
「なぜ、主人公は言われ得ない虚しさを抱えたのか」
「なぜ…」

という質問を繰り返すことにより、小説世界を読み解くことができるからです。

テストも同じですよね。
そして、コミュニケーションも同じなのです。

「なぜ?」と問うことにより、人間は「間」を持つようになります。
その「間」こそが、自分の考えを短絡的にすることなく、適切なコミュニケーションを取るために必要不可欠なのです。

「タバコは人生の句読点」というような名言を千鳥の大悟さんが残したように、読解は、人間にとってコミュニケーションに点を打つ、必要不可欠な行為です。

だからこそ、文学は必要なのです。

②言葉を学ぶことで世界が広がる。

長くなりそうですが、ここまできたら書き上げてやる!

言葉は我々人間の世界を分化し、我々に認識をもたらします。

ここでいったん周りを見回して見てください。何がありますか?

きっと、全て言葉に変換されたことでしょう。
僕の周りには、うち捨てられたズボン、リモコン、iPad(おしゃれ)、うち捨てられたズボン2・3があります。


では、「心の中」を言葉にしてみてください。

できましたか?

僕は今、こんなに長い文章を読んでくれる人ってどんな人なんだろう…と思いながら打ち込んでいます。コメントくださ(略)

「心の中」にまつわる言葉がたくさんこの世にあることを、僕たちは知っています。
大人になるまでに、たくさんの言葉に触れてきたからです。

しかし、子どもたちはどうでしょうか。

古くから、「語彙力」というものは折に触れて問題とされてきました。
もちろん僕は、「最近の若いもんは」というつもりは全くありません。

ですが、本当に良くないと思っていることが一つだけあります。
それは、現代の言葉は「わかった気になってしまう」ということです。

「それな」「りょ」などの言葉は、一見短縮されて便利に思えるかもしれませんが、本来はもっと多くの言葉を必要としてきたはずです。

こうした短縮によって失われた感性が重なれば重なるほど、人間の思考能力は低下していきます。

だから、子どもたちは「キレる」し、若者は「ヤバい」し、中年は「キモい」のです。

それに引き換え、文学は「明治〜令和」まで様々な感性を働かせることができる言葉に溢れています。

言葉を知ることで、自分が何に悩み、苦しんでいるか。
相手が何を求め、どう接して欲しいかがわかるようになるのです。

だから、文学は必要なのです。

③自分以外の人生を追体験できる

に関しては、たくさんの記載があるので、私からは以上にします。


明日は、最近読んだ本の話をします!!




3,000文字超えた…レポートじゃないか…

スキ/コメントお待ちしております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?