「離人感」5/3の日記

 課題、終わってなさすぎて自分でもウケちゃった。過集中でどうにかなるっしょとほざいていた昨日の自分を殺してやりたいところである。いや、昨日だけではない。休校になってからというもの、うつ病の調子も良くなり(躁転?)、趣味を楽しみまくっていた自分を引っ叩きたい。未来に確実に苦労するのはわかっているのになぜやらないんだと。やらなかったわけではない。毎日机に向かっていた。けれど、進行が遅すぎた。

 1番怖いのは、こう言いながらも微塵も焦っていないところだ。こうして日記を更新しているのが何よりの証拠である。さっきまではフレンチトーストを食べながらYouTubeを見ていた。カス。薬が切れてから課題を始めるのをやめろ。効いている間にやれ。

 ところで、課題だけでなく、全ての物事を本質的に理解していないのだと感じることがある。離人感のために自分の感情すら自分のものだと思えない。本当は、全てどうでもいいのかもしれないと、怖くなることがある。大事な人を亡くしたことも、恋人に別れを告げられたことも、自分の人生も、何も思っていないのかもしれない。私は多分、周りの人よりも反応がかなり薄かった。 

 それは二重人格とまではいかないが、複数の人格があるように感じているからなのかもしれない。辛さを引き受け、私のショックを和らげている自分がいる。はっきりと診断されているわけではないからわからないが、離人感の正体なのかもしれない。

 ストレスを溜め込まないようにしろと常々言われているが、私は本当にストレスを感じていない。本当に辛くないのだ。話しながらようやく、自分が辛いと思っていたことを知る。私の考えとは別に勝手に口が動いている。話しながら「え?そんなこと思ってないしこんなこと言うつもりじゃなかったのになんで?」と思う。毎回号泣しながら、自分が話したことに疑問を抱く。そう思ったことは無いから。恐らく、辛い苦しいと泣き喚いて勝手に話しているのは、普段私の苦痛を受け止めている方の私なんだと思う。そしてこの日記を書いているのは、自分を第三者目線で見て全ての物事を本質的に理解していない私。このnoteで初めて記事を書いていたのはストレスを普段から引き受けている私だと思う。文体も全く違うしね。

 https://note.com/straysheep346/n/n9d4ba04c5536 これ。

 なんとなく感じているのは、辛いを引き受けている私、全てのことに対して常に怒っている私、ものすごく意地悪で残虐な私、常におちゃらけている私が最低でもいる。考え事のときは頭の中で小さい私たちが会議をする。

 離人感についてうまく説明できないので、いつもの通院で話したことは無かった。めちゃくちゃな文だが、こうして形にできたのは良かったかもしれない。今回はたくさんタグをつけるから、もし同じような感覚の人がいて、これを読んでくれたら、お話を聞かせてほしい。お願いします。

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