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評論家は要らないんだよ説明は俺がするから、お前らは俺の前で、この場で、出来るようになれよ

職員になった当時はよく先生に、こっぴどく叱られた


今思い返せば おそらく(怒られたのは)こういう事なんだろうと察しは付くが
当時の俺はまるで山猿みたいもので、この人は俺の事が嫌いなんだろうと、どうして良いかも分からず、割り切って稽古ばかりしていた様に思う。


そんな時俺より先に職員になった人がいてよくいろんな事を教えてくれた。本当にありがたかった。

ある時 、いつもの様に来阪する先生を迎えに行く時、
声をかけてくれた、1度試しにスーツを着て行ったら?と
当日しぶしぶながらスーツを着て空港へ、出迎えた。

驚いた、大きな声で名前を呼ばれ、振り返るとにこやかに手を上げている

いつもなら、ご機嫌ナナメで一言も口を聞かず、道場迄がパターンだったからだ。
迎えに行く時もジャージにTシャツ、ビーチサンダル
今思えば··そら怒るわな
稽古しか頭になかった

捌きは満足のいくもので無いのは自覚があり
その叱責は変わらずあるのだが
其より、この社会性の部分が頭を痛めた。

しかし後にその事がまた技術の向上に繋がった様に思う

口の上手い奴も沢山いた

あれは先生しか出来ないよ、と多くの黒帯の声
分からんでもないが、なら何故ここに居る?と思った。

○○会館には評論家は要らないんだよ説明は俺がするから、
お前らは俺の前で、この場で、出来るようになれよ
こういう事が俺には励みになった

先生にかなりの叱責を受けても
この様な場合の厳しさはとても魅力があった。

悔しくもあったが、やってやるという思いの方が強かった。

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