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【これが見たかった!】「すずめの戸締まり」ほやほやレビュー

こんばんは。ヨタロです!

しばらく記事の更新がとまっていましたが、また再開していきたいと思います!

さて、本日はなんの日でしょう!

2022年最後の月がスタートしましたね。
12月1日。

実はTOHOシネマズの映画の日なんです。

映画の鑑賞料金が一律で1000円になる年に一度の特別な日。

これは映画を見にいかない手はないと思いまして。

そしてもちろん見るのは、新海誠さんの最新作「すずめの戸締まり」。

前回作「天気の子」から3年空いて、満を持しての新作でした。テーマはずばり「戸締まり」。

今回は、この「すずめの戸締まり」の感想をツラツラと書き連ねたいと思います。

テーマごとに章立てして書きますので、もしご興味がある部分がありましたら、ぜひ読んで見てください。


【微ネタバレ】総評!

ずばり100点満点中、85点!

感動     ★★★★☆
シーンの構成 ★★★★☆
世界観    ★★★★☆
作画     ★★★★★
キャラの魅力 ★★★☆☆
声優の質   ★★★☆☆

正味90点をあげたい!と言いたいところですが、そんなバンバン90点台を出していいものだろうか、という気持ちも働きまして、85点にしておきます。

一部合点が行かないところ、「ちょっとここだけは…」と感じたところもありましたので、おいおい説明しましょう。

でも点数は正直どうでもいいんです(おい)。

私が声を大にして言いたいのは以下の通りです。


「新海さん!僕が見たかった新海作品はこれなんだよぉぉぉっ!!!」


これです。

「天気の子」と"対"をなす「すずめの戸締まり」

前回作の「天気の子」が僕の中では全く響かず、軽くトラウマになっているレベルでした。
では、ここでまず「天気の子」について一言。

新海さんもかなりチャレンジ精神を持って、物議を醸すだろうなぁ、と意識しながら制作されたそう。

新海さんの肌感覚の通り、「天気の子」は見事賛否両論に別れました。

主人公「帆高」が「自分の愛する少女」と「世界」を天秤にかけて、少女を選択して、

「僕らは大丈夫だ!」

でエンド(説明がとんでもなく雑です)。

その他大勢よりもエゴを優先する。その過程で、帆高はとにかく間違い続けます。軽犯罪のオンパレードです。

この常人の感覚からどんどん離れていく帆高という主人公像に、

一種のカタルシスを感じられたか、

生理的に拒否反応を示したか、

によってこの映画の評価は真反対になったわけです。


では、「すずめの戸締まり」は?

タイトルでは"対"という言い方をしましたが、それはどういうことか。

主人公の岩戸鈴芽(いわとすずめ)は、
自分が愛する宗像草太(むなかたそうた)を「常世」から連れ戻すために自らが「要石(かなめいし)」になる覚悟を持って行動をとっています。

自分が愛する人を取り戻すために世界を犠牲にすることを厭わない帆高。

自分が愛する人を取り戻すために自分を犠牲にすることを厭わない鈴芽。

そう。まるで"対"です

自分自身がこの主人公たちだったら、どういう選択をするか、というのはさておいて(あれ、ちょっとズルいですかね?)、

日本人の感性的に、ぐっとくるのは

鈴芽

ではないでしょうか。

そういう意味で、おそらく万人受けする作品は「すずめの戸締まり」でしょうね。


前々作「君の名は」も同じように万人受け作品でしたから、

「天気の子」で思いっきり逆に振り切って、
揺り戻し的な立ち位置で「すずめの戸締まり」が完成したのではないでしょうか。

新海さんが本当に描きたい主人公像はどこにあるのか

こうまで主人公の描き方に振り幅があると、新海さんが描きたい主人公、好みの主人公はどういう姿なのかも気になります。

私個人の推測ですが、おそらく描きたいのは「帆高」みたいな主人公なんだと思います。

理由は以下の通りです。

①わざわざ「同性」で描いている。
②秒速5センチメートルを見れば、新海さんの主人公像の原点は「不完全な男(かっこ悪い)」なんだと分かる。

「君の名は」はダブル主人公でしたが、「天気の子」は敢えて男の「帆高」に焦点を当てた描き方をしました。

決して「男だからこう」「女だからこう」という話をしたいのではありませんが、

新海さんご自身も男性ですから、当然男の心情の方が描きやすいでしょう。

描きやすい男性にフォーカスした結果、深く深く「帆高」の心理を考えて行く過程で、

到底常人受けはしない人物像が出来上がってしまったのではないでしょうか。

ただ、新海さんとしては、あれが赤裸々な主人公なのだと思います。

決して格好がいいとは言えない主人公。というか、身勝手すぎる主人公。

そしてやっぱり女性に甘えてしまう主人公。

秒速5センチメートルという新海さんの過去作がありますが、ここに出てくる主人公の男の子(ごめんなさい名前が思い出せません)も、

異性の前ではカッコつけてますが、その実は過去の思い出に執着したまま、もう出会えなくなってしまった幼なじみに未練タラタラのダサい男なんです。

この当たりを考えると、表現者として描きたい正直なところの主人公像は、

「帆高」

に近いのではないか、と思われるわけです。

私自身も、先程は回答を保留にしましたが、

世界か自分の都合かの二者択一になったときに、自分の都合を優先してしまう気がしてなりません。

という意味で、僕が「天気の子」に拒否反応をしめしたのは、

実は「帆高」がよく分かるからなのかも知れません。

鈴芽は新海さんが描きたいヒロイン像

さて、前回作「天気の子」が、

新海さんの真に描きたい主人公像(男の子像)だとすると、

「すずめの戸締まり」の鈴芽は

新海さんが描きたいヒロイン像と言えるのではないでしょうか。

「君の名は」の三葉もそうでしたが、とても強い女の子、能動的な女の子、として描かれています。

「君の名は」の瀧くんは手助けこそしますが、最終的に彗星の衝突から村民を救ったのは三葉でした。

「すずめの戸締まり」の鈴芽も、草太を救うために、諦めずに立ち向かい続け、遂に「常世」の入口に辿り着き、無事草太との再会を果たします。

「天気の子」の陽菜も、人柱として囚われていたときは帆高に助けられますが、物語全体としてみたときに、陽菜が帆高の「救い」になっている部分があります。それは、陽菜自身の明るい性格、活発な性格があるからでしょう。


とはいえ、強いばかりでもありません。

三葉も陽菜も鈴芽も、弱い部分を見せて泣いてしまう時もあります。

そんなとき、瀧も帆高も草太も彼女たちを慰め、励まし、後押しするわけです。要は美味しいところを男が持っていってますよね笑

これらのことを踏まえると、

弱いところもあるけれど(男に弱い所を見せるけど)、きめるときはきっちり決められる強い女

が新海さんの好みなんじゃないでしょうか。何を隠そう僕もそんな女の子が大好きです笑


これが見たかったよ新海さん

話を戻しまして。強い女が好きな男代表として言わせてもらいましょう。

こんな女の子が実在するかはさておき。

こういう主人公を待っていたんだよ新海さん!ありがとう!


…ということで、概ね僕の推測で新海さんの好みを語ってしまっているので、

ひょっとしたらとんだ名誉毀損になってしまっているかもしれませんが(笑)、

総評はこの辺にして、各部の良かったポイント、あまり好みではなかったポイントについて、ひとつひとつピックアップしていきましょう。


【ネタバレ警報】Goodポイント

①「過去の否定→過去との決着」という王道成長ストーリー

物語の軸は、

過去の否定(東日本大震災で亡くなった母親を諦め切れない、過去を認めきれない無意識の強い思い)

と鈴芽が向き合い、

過去と決着をつける(母親の死を受けいれ、幼い日の鈴芽を励ます)

という、言い方は悪いですが、よくある成長ストーリーになっています。

僕はこのわかりやすさが逆にGoodポイントだと思っています。

テーマは単純明快であるほど良作である、というのが僕の価値観ですから、この割り切った話の軸は好感が持てます。

②環さんの成長ストーリーでもある

鈴芽の叔母さんにあたる岩戸環もいいキャラクターしてます。

物語冒頭では、鈴芽を支える頼もしい女性として描かれますが、徐々に彼女がもつ闇深い部分も明らかになっていきます。

震災で母親を亡くしたあとも懸命に(死んでしまったと分かっていながらも)探し続ける幼い鈴芽に同情し、家族としてして迎え入れる決意をした環。

鈴芽を実の娘のように愛していますが、

鈴芽を育てる過程で、自分自身の大切な時期を犠牲にせざるを得なかった過去があります。

婚期を逃し、人付き合いも制限され、そんな自身の半生を後悔し、鈴芽を疎ましく思う心も同時に持ち合わせているわけです。

そんな複雑な感情も、(サダイジンの力を借りてですが)鈴芽にダイレクトにぶちまけてしまうシーンがあります。あれはかなり精神が抉られるシーンですが、話の軸を考えると必要なシーンでもあります。

環にとっても、「すずめの戸締まり」は過去との決着をつける、成長ストーリーになっているわけです。

③やっぱり大団円はよい

これは個人的な好みですが、やっぱり大団円はいいですね。最後は丸く収まる。
今作は、大団円ものにありがちな「無理やりどうにかみんな幸せにしておしまい!」のような強引さはなく、エンドロールの合間合間で上手い具合に、鈴芽と鈴芽を支えた人たち(千果ちゃんとか、バーのおばさま方とか)の「その後」が描かれています。

まあ強いて言うなら草太と鈴芽の再会が早すぎたようにも感じます。

2人の再会を匂わせるだけで、実際どうなったかは皆さんのご想像におまかせします、でも良かった気もしますね。

でもその場合、鑑賞後に煮えきらなくて、「鈴芽 草太 その後」とかでググって、二次創作様のお世話になる自分の姿が見えたので、やっぱり再会エンドで良かったのかな、という気もします(どっちだよ)。

何はともあれ、大団円はよい。後腐れなくて大変良い。

④震災からの復興というメッセージ性

作中、要石を「ミミズ」に刺して鎮めるシーンで、

草太たちが常世にある、東日本大震災の被災地を思わせる風景の中を走り抜けるところがあります。

そして、東日本大震災のシンボルにもなっている、建物の上に乗りかかった船が出てきて、草太たちはそれを踏んで乗り越えていき、ミミズに立ち向かっていきます。

このシーンに、震災という過去に囚われず、乗り越え、先に進もうというメッセージを感じる気がしてなりません。

【ネタバレ警報】惜しいポイント

①芹沢さんのご都合要員感

草太の大学の友人、芹沢さん。今作もやはり神木隆之介枠は、物語のキーマンでしたね


......と言いたいところですが、ちょっと残念ポイントが。

芹沢さんは草太を見つけるために鈴芽と同行しますが、イマイチ行動原理が判然としません。

草太のことで悪態をつきながら、実はめちゃくちゃ彼を心配してるツンデレ君、で片付けてもいいんですが、

だとすると、車が事故ってしまったあと、満足そうに環と鈴芽を見送るシーンに合点が行きません。

悪そうな見た目で世話焼き、ちょっぴり空気が読めない残念イケメン、という最高にいい味出してるキャラなだけに、

行動の動機が定まらないため、

ストーリーを円滑に進める「足」役に留まってしまってるのが残念でなりません( т т )

②じいちゃんの深堀が欲しい!

颯太のおじいちゃんは物語のキーマンでありながら、その登場シーンは一瞬です。

そのため、おじいちゃんにとって、草太がどういう人物なのかがイマイチ見えてきません。

閉じ師として、孫の死(厳密には、要石として常世に拘束される)を仕方ないものとして割り切っているようで、

ちゃっかり鈴芽に常世への行き方(人が一生涯で常世に向かえるのは、一つの扉からだけであることを教える)を教えています。

閉じ師としての顔と、大切な孫を救いたい祖父としての顔のふたつがあるということでしょうか。

もう少し、おじいちゃんという人物像の深堀が欲しかった気はします。

③ダイジンが不憫でならない


宮崎の扉の傍で、東京のサダイジンと同様に要石になっていたダイジン。(要石の置かれている位置が、現世だったり常世だったり、ツッコミどころはあるんですが、それはさておき)

その行動は物語終盤までよく分からず、「憎まれ役」「悪役」的な位置ではありますが、

結局、鈴芽のことが大好きなだけだったという、超絶純粋なキャラクターであることがわかります。

閉じ師である草太は、自分の封じようとする存在ですから邪魔ですが、鈴芽は自分を救ってくれた存在ですから、大好きなわけです。とっても単純。

ですが神様であり、とても気まぐれです。(作中で草太が「気まぐれは神の本質だ」と言っています。)

「後戸」は開けまくっちゃうし、人がたくさん死ぬであろう状況を楽しんだり。

要はこのダイジンというキャラクターは、「子どもの神様」ということなんでしょう。


純新無垢だけど、その分残酷でもある。

そういえば日本神話の神様って、割と子どもっぽいところありますもんね。

ということは、サダイジンは割と成熟した神様なんでしょう。


とすればですよ。

ダイジンの結末はかなり胸が締め付けられます。

大好きな鈴芽のために、あれだけ嫌がった要石としての役割に戻るわけです。「鈴芽の子にはなれなかった」と言って要石に戻っていくシーンがありますが、

個人的には作中一心が苦しくなりました。

やんちゃされると日本が滅びかねない危険な神様ではありますが、もう少し自由にさせてあげたかった...。そう思います。


でも、そう思わせるのもひょっとしたら新海さんの作戦かもしれません。

「天気の子」の世界観と共通してるのは、

自然の前に本来人は無力で、人がこの世で暮らしていけているのは、自然に生かされているから。

という部分です。また、

しかし人間はそのありがたみを意識していない。身勝手に生きている。

というところも共通しています。

帆高は人柱になった陽菜を雲の上から無理やり連れ返してしまいますし、
鈴芽も要石になってしまった草太を無理やり引っこ抜きます(文字通り、「引っこ抜きます」笑)。

唯一草太くらいが、人間は住む場所を与えられている存在であることを意識できています。

新海さんは、この人間の身勝手さ、傲慢さ、みたいなところに敢えてスポットライトを当てたいのではないでしょうか。

ダイジンを不憫なキャラクターであると感じさせて、

大自然に平穏に暮らせることのありがたみ、人間のエゴ、みたいなところを浮き彫りにしているように感じます。

もしそういうメッセージ性が込められているのであれば、

僕は見事に新海さんの術中にハマっていることになるわけですね笑

【ネタバレ警報】考察できそうなポイント

さて、作中には必ずしも明言されていない描写がいくつがあったりします。いわゆる考察し甲斐のある部分ですが、

以下に簡単に挙げておきました。今後もう1回視聴するか、小説版を読むか、他人の考察を見るかして納得したいところです。

○草太が要石になっている間にいたあの風景は?←草太の前にあったのは「後戸」とは別の扉?

○なぜ、鈴芽の住む宮崎の扉だけ、「ザ・扉」な姿をしていたのか?←他の「後戸」のように、その場所に自然とありそうな扉(観覧車のドアや、校舎の正面の引き戸)ではなく、あからさまにポツンとある扉になっているのはなぜか?

○常世に人(亡くなった人)が存在せず、震災後の廃墟だけがあるのはなぜか?←そもそも「常世=あの世」という解釈が違う?

【微ネタバレ】最後に

さて、いかがでしたでしょうか。

全体としては「すずめの戸締まり」はとにかく大満足の出来でした!

何度も言うとおり、これが見たかった!

ぜひ多くの人にこの作品を見てもらいたいと思いましたね。

あと最後にもうひとつ。

草太が後戸を締めるときに放つ呪文。最後の節が「お返し申す!」なのは覚えているんですが、その前の部分がどうも覚えられないんですよね...。

いや、あのですね。
あの呪文が内なる中二病を呼び起こして、めちゃくちゃ興奮するんです。なので、ネットで呪文の全文を探して、諳んじれるようにしたいな、と思います笑

そんで、これから鍵を閉める度に、脳内で再現するわけですよ。「お返し申すっ!」ってね。

男ってバカでしょう?ね、千果さん笑


ヨタロ

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