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実家のデミオは売られまして。

「...それと車🚗を売りました。」

こんにちばんは。あきるです。
こんな状態の世の中ですが、落ち着いたら、母をどこに連れて行ってあげようかなと、考えていた矢先の出来事でした。

母が車を売っちまったとな^q^

よくよく聞いたら、父からもゴーサインが出されていたそうで、両親の同意の元、我が家のデミオちゃんは売りに出されてしまったそうです。
確か、購入してから3,4年後の出来事でした。

先日、遼遠さんの記事を読んでいて、わたしは改めて車も、運転することも、好きなんだなと再確認していました。

なのに、この状態である。

過ぎ去ってしまったことは仕方ないので、諦めます。
なので、わたしの車への儚い思いの丈でも記念に綴っておこうと思います。

幼少期から父はドライブが好きな人だったので、家族でよく出かけました。
山梨の親戚の家へ遊びに行く際、母はよく、峠越えのうねる山道に酔っていました。わたしと弟は何食わぬ顔で、後部座席でオセロをしていたものです。

車種に関しては遼遠さんのように詳しくはないので、わかりませんが、幼少期に乗っていたのは三菱のパジェロ系の車でした。
ライトの前に、なにやらパイプのような柵のようなものがついていた車種でした。
どこかへ行って、車のところで待っていたりする時、そのパーツの部分によじ登って座っているのが好きでした。

それから、わたしと弟が大きくなるにつれ、父は車を買い替えていきました。

気がついたら家の隣の駐車場から忽然と姿を消していた鼠色のMPV。
大変だ!ということで急遽購入した空色のパッソ。
そして父がかっこいいからということで購入した深海色のマツダのデミオ。

MPVはただ単に、盗まれました。
そんなこと、本当に起きるんだ!って普通にびっくりした高校時代。

父の運転は、基本的にドS運転なので、助手席に乗っていた母は怖がっていました。乗っている人たち的には、さして問題ありませんが、煽りがすごい。
母は「いつもひょうきんで温厚なのに、運転する時だけは顔色変えずに人が変わる...」とおののいていました。

わたしが免許を取って父と似たような運転をするねと母に言われたのが18歳。
周りがセンター試験へ向け勉強している中、家から歩いて10分の自動車学校へせっせと通っていました。
今でもよく覚えているのは、初の路上演習で、自動車学校から左折して公道へ出た瞬間に、後ろから救急車のサイレンの音がけたたましく迫ってきたこと。
一瞬でパニックになって教官に「代わってください!」とわけのわからないことを叫んでいたのは遠い昔です。

免許を取って、遠くへ行けるようになりました。

一人でドライブする時は、好きな曲を好きな音量で聞きながら運転できました。

公共交通機関を使わないでも、ダイレクトに行きたい場所へ行けるようになりました。

わたしは車も、運転することも、好きです。
それはきっと、車のデザインもあるだろうし、プライベート空間と化した居心地の良い車内に座り、自分の好きな速さやリズムで、直に目的地へ行けるから。

一昨年初めて車で3,4時間の運転をしました。
疲れたけれど、とても楽しかったです。
なにが楽しかったのかって聞かれても、ドライブするのが、としか言いようがないのですが、それは多分、自分では出せない速度を、自分自身を介した物が出してくれて、そうして自分自身が意思を持って進んでいくのが楽しいのかなとふと思いました。

プライベート空間を保持したまま、自分の意思を反映して好きなところへ連れて行ってくれる車が好きです。
けどその車は、もう実家にはいなくなってしまいました。

というわけで、そろそろ本腰入れてバイクの免許とるかな。

目指せ、BMWのスクランブラー。

おしまい。

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