昔の研修医の話

またも昔話になるが、今度は医者になった後の話である。
今の話もしたいのだが昔のことから説明していかないと今こうなっている理由がわからないと思うからだ。

昔の研修医(制度?)


今は研修医を育成するシステムがあるのだが、私が医学部を卒業した平成のはじめ頃は、研修医制度というものが建前上あるということになっていたが、ほとんど無いも同然であった。
一応形式としては2年間の研修をすることになっていた。


具体的にはどんな状況だったかというと
医学部を卒業し国家試験に合格すると初めは研修医として病院に雇われる。
本質的な部分はこれだけである。

研修プログラムはないか、あっても形だけ。

給料は、当時は国立病院(国立大附属病院も)で日給8000円台で土日祝日はなし。日給制でボーナス無し。病院によってはもっと安いところも、逆に高いところもあった。
研修なので勤務時間無制限、土日祝日も含め毎日出席するものだと思われていた。
タイムカードはない。出席簿のようなものにハンコを押したりしていた。一応夏休みは別に数日もらえたが。
他に病院が認めるアルバイトができたが、不定期で1回2−3万円くらいであった。私の母校の大学病院では内科の場合年収はバイト含め300万円くらいであった。

こんなものは単なる見習い扱いであって研修制度ではない。

以前厚生労働大臣が「制度疲弊を起こしている。」と発言していたが、疲弊以前に制度なんかもともとないだろ、とツッコんでいたものである。

ただ、研修医を採るような病院は通常スタッフも患者も大勢いて、定期的にカンファレンスを開き、研修医には担当患者の病状を担当医に報告させ、上級医が治療経過をチェックするのでその過程で医学知識を身に着けていくことはできる。また海外文献の輪読会があったり学会発表の指導や助言などはしてもらえる。これが研修のようなものである。

カリキュラムに沿っているわけでもなく通常の病院業務のなかで指導していくので上司に嫌われたら干されて教えてもらえなくなったりした。
なかには指導者がいない研修病院というところもあった。

ない研修を修了する?方法


研修修了証明書のようなものはなかった。
こういう点から見てもこれは制度じゃないということだ。
あるのは研修医扱いで働いていたという事実だけである。

じゃ、どうなったら研修を修了したことになるのか?

簡単に言えば研修医でない正規の医師として雇ってくれる病院に就職すれば研修医でなくなるので事実上研修が終わったことになる。
だから建前上は研修は2年間だが、行き先がなく研修医の待遇のまま何年も置かれている人もいた。

逆に言えば新卒から正規の給料で雇ってもらいそこでずっと働ければ研修はしないでよいことになる。
そんな病院もあるにはあったようだが、今のようなインターネットなどない時代なので見つけるのは困難であるし、行ってその後どうなるかという情報も全くないのでそんなところで働くのは一般的ではなかった。

どうやって正規の就職をするのか


じゃ、どうやって正規の就職をするのか?というとそんなことを悩む必要はあまりなかった。
ほとんどの医学部新卒者は国家試験に合格するとそのまま母校か自分の出身地の大学のどこかの科に入って(これが医局に入るということ)大学病院で研修し、その後の行き先は所属科の教授が決めた。だから心配はないのだ。

それは就職の斡旋ではなく、大学が過去の実績で押さえてきた病院のポストに就かせるのであって、ある程度の年数勤めたらそのポストは後輩に譲り、自分はさらに上位のポストに移っていく。これを医局人事と呼んでいるのである。
医師過剰と言われていた時代は仕事にあぶれないために田舎の条件の悪い病院でも必死で守ってきたのでこんな方法でもポストが維持されていたのである。

その途中で専門医試験を受けたり大学に戻って研究したり博士号を取ったり、大学の教官になる場合もある。大学の医局に入っていたほうが、努力次第ではあるがこれらを手に入れるのに有利であるし、医師過剰と言われ大学が頂点であった時代にはこの流れに乗らなければ干されかねなかったので皆一度は医局に入ったのである。

そしてこういう状況を医学部教授が仕切っているので、教授には人事権がある、と医者は思いこんでいるのだが、人事「権」など本当はないはずだ。

上に書いた厚生労働大臣の発言は研修だけでなくて教授がこのように医局員の人事を動かしていることを含めて「制度疲弊」と言っていたわけだが、これは大学と医者の勝手な都合でそうなっていたのであって、制度ではない。
今までは大学に所属したほうが何かと有利なのでそうなっていただけだ。

ちなみに私の場合は大学で1年目の研修後、2年目は地方の関連病院で研修し、3年目は同じ病院の正規職員に採用されたため研修が終わった。ちょうど正規職員のポストが空いて上司が教授に推薦してくれたからである。運が良かった。
年収は900万円くらいになったのだが、これは同期の中では恵まれている方であった。多くはもっと安い給料で雇われていたし、そのまま3年目も研修医という人や、上司と喧嘩して退職し留学してしまった人などもいた。



今は大学を介さずとも就職する方法があるので、最小限の研修だけして、後は専門医も博士号もいらない、大学のポストもいらない。田舎の病院にはいかない。東京の美容整形病院で高給もらって働くんだ、という人も出てきているわけだ。
そうなると条件の悪い病院には誰も行かなくなり、田舎の病院は人手不足になるわけだ。



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