医学部の学閥の話

最近は昔ほど言われなくなってきているが、昔は医学界というのは学閥の世界であった。医閥とも言った。

戦前は今よりはっきり学校間に格付けがあり、現在でもその名残があるのだ。実は医学部以外でもそうなのだが、他学部の場合は多くが企業に就職してしまうのであまり目立たない。

医者の世界は企業に就職するのではなく卒業後も大学と繋がって行くので、大学、地域ごとに縦割りなのである。

違う大学同士の連携というのはあまりないというか、一般社会でいえば他大学は他社に相当し、お互いがライバルである。
一昔前は医師過剰と言われていたこともあって少ないポストをめぐり戦っていたのである。

三大医閥 五大医閥 十系列


三大医閥といえば東大・京大・慶応であった。
御三家とも言う。

それに阪大と九大を加え、五大医閥

残りの旧帝大と慈恵医大、日本医大を加えて十系列
そのうち私立の3校を私立御三家とも言う。

旧制六医大


このほかに、旧帝大に次ぐ勢力があった。
戦前、旧制医科大学と言って、帝国大学以外に単科の医科大学があったのだが、戦前は旧帝大に次ぐ格付けだったのだ。


関東なら千葉医大(今の千葉大医学部)
北陸の金沢医大(今の金沢大医学部 現在の私立の金沢医大と異なる。)、新潟医大(今の新潟大医学部)
中国の岡山医大(今の岡山大医学部)
九州の長崎医大(今の長崎大医学部)、熊本医大(今の熊本大医学部)
の6校である。
旧六とも言う。

公立で旧六ではないが京都府立医大も同等の大学とみなされることがある。

岡山や新潟など旧帝大から遠い地域では今でも旧帝大を凌ぐ勢力なのだ。

戦時中に設立された医学部


戦時中は医師が戦争に取られたため医師不足であり、医師を短期間で養成する医学専門学校がいくつも設立された。
修業年数が短くて医科大学を卒業するより早く卒業できたのだが、戦時下の緊急事態で即席に医師を養成した感じで卒業生は医師としても下に見られた。
戦後になり大学に昇格したので今はそういう区別はない。

有名なところでは東京医科歯科大学医学部だが、戦前の卒業生は大学卒でなかったのだ。
そのためかつては東大と慶応に押され東京での就職が厳しかった。
しかも東京に2つしかない国立医学部の一つなので入試難易度は昔から高く、今風に言うとコスパの悪い大学であった。
だが、旧帝大医学部卒であっても、いきなり東京にやってきて簡単にどこにでも就職できるというわけではないので、今なら地方旧帝大より医科歯科大の方が就職はマシかもしれない。

そのほかにも戦前からの公立、私立医学部があるが、学閥という意味ではあまり重要視されていない。

新設医大

1975年頃から新設され始めた大学。

戦後になり大学間の上下関係は形式的には解消され建前上は全ての大学が同じ大学であるということになったが、伝統校と横並びというわけではない。今でも予算配分は上位校からであったりする。

昔の医学部受験生もこう言う話を知らず、医師免許さえ取れればいいと思い適当な入りやすい医学部に入って大後悔し、中退後もっと格上の医学部に再入学と言う例が結構あった。


最近は東京一極集中がひどいこともあって東大理3は異常な難しさになって医者になるために受けるのは微妙になってきた。医科歯科大は地の利を活かして伸びており、旧帝大は全般に地盤沈下気味で、新設医大は創立40年を超えるところが多くなり卒業生も増え力をつけてきた。
私立も順天堂のように学費を値下げして優秀な学生を確保してきているなど、従来の枠組みも少し変わってきているが、簡単に変化しないところもあるのだ。

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