走ることの大切さ

ここ10数年で目覚ましい進化を遂げているサッカーですが、その中で特に進化しているのがデータ化です。
今では走行距離やスプリント回数、デュエルの勝利数などの多くの項目をデータとして見ることができます。
そんな中で今回は走行距離やスプリント回数について書いていきます。

さて、今回私がみなさんに伝えたいこと。それは、走行距離やスプリント回数が多い=良いサッカー選手というわけではないということです。
詳しく説明します。まず、走行距離は選手が走った距離、スプリント回数はスプリントをした回数になります。
そして、走行距離が長い選手は運動量があり、スプリント回数が多い選手はスプリント能力が高いことになります。
しかし、このデータからわかるのはそれだけなのです。
即ち、走行距離やスプリント回数からは選手のアスリート能力の高さしかわからず、選手のサッカー選手としての能力がわかるわけではないのです。
なぜ、運動量が多い選手やスプリント能力が高い選手が、それだけで良い選手ではないかというと、サッカーには、必要な走りと無駄な走りがあるからです。
補足しますと、ここで言う無駄な走りは、相手のマークを引っ張ったとか、味方のボールを受けるスペースを開けるためにポジションを変えたなどのサッカーのコーチが言う無駄走りのことではなく、真の意味で走る意味のない無駄な動きのことを言います。
ですが、サッカーに無駄な走りなど無いのではないか。そう考える人もいるかもしれません。
しかし、実際に走る必要のない無駄な走りはあります。
例えば、前線からプレスをかけるときですが、これはがむしゃらにボールを追えば良いわけではありません。
しっかり選手のポジションを決め、追い込み、奪うポイントを決めれば、闇雲に追う必要は無くなります。
そして、闇雲に追わなければ必然的に走行距離は減ります。
また、ビルドアップの時でも、そのポジションに留まることにより、ビルドアップが円滑に進むポジションに立てているのに、ボールを受けるためにボールホルダーに寄ってしまったために、ビルドアップが上手くいかなくなることがあります。
しかし、ボールに寄るために動き回ることにより、走行距離は増えます。
これらが、私が言う無駄走りです。
そして、これらの無駄走りは、走行距離だけを見ると運動量が多いので良い選手のように錯覚してしまいます。
スプリント回数も同じで、例えば自身が取るポジションを間違えたことにより、必要のないスプリントが生じたとしても、スプリント回数だけを見ると回数が増えています。
しかし、これは自身のミスにより無駄にスプリントする機会を増やしているだけなのです。
これらのことは、データだけでは読み取れない事象です。
そして、実際にプロのサッカー選手も似たようなことを書いています。
元日本代表の内田篤人選手は、自伝の中で、『試合中はいつもサボることを考えている』と書いています。
これは、言葉通りに取ると、ただサボろうとしている奴とも取れますが、意味を紐解くと、走る必要のない分まで走る必要は無いとも取れます。
つまり、試合中の無駄走りを無くすことにより、必要な時に多くのエネルギーを割けるようになるということなのです。
このように、サッカーはただ走れば良いわけではなく、常に走ることに意味を持たせ、走ることを勝利に還元させなければならないのです。
しかし、走行距離やスプリント回数からは、それが、意味のある走りなのか、そうでは無いのかは見分けることができません。
即ち、仮に走行距離やスプリント回数が凄まじい選手がいたとしても、実際にその選手のプレーを見るまでは、その選手が良いサッカー選手なのかは見分けることはできないのです。
そして、サッカーを教えるときは闇雲に走らせるのでは無く、なぜ走るのか、その走りにはどういう意味があるのか、指導者の側からしっかり言語化する必要があるのではないでしょうか?

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