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無くなった文化と近所のおばちゃん

小津安二郎監督の1947年の映画「長屋紳士録」を観た。
戦後復興の東京を舞台にした作品で、身近な人への愛情について考えさせられる内容となっている。忙しさにかまけて家族とかご近所さんとの希薄になってしまった関係性を今一度考え直したい。

あらすじ

主人公は50代くらいの女性。戦災の痕跡が残る街の長屋に住んでいるのだが、彼女の家に突然知り合いが子供を連れてやってくる。長屋に住む者同士の付き合いだから心理的な垣根もなく同じ家に住むような間柄なのだろう。ご近所さんは勝手に土間に入ってくる。
知り合いが連れてきたその子供は、道にはぐれたのか、はたまた親に捨てられたのかわからないのだそう。長屋に住む彼女は子供は嫌いだと言って、その子を知り合いの家に預けようとしたり、捨てようと試みたりもするが、結局は嫌々ながら家に泊めてあげることにする。2、3日一緒に住むうちに情がうつり、自分の子供のように可愛がるようになる。
1週間が過ぎ、突然その子の父親が現れる。その子は捨てられたわけではなく、父親と道すがらはぐれてしまったようだ。父親と子供は泊めていただいたことに対して丁寧にお礼を言い、名残惜しむ間も無く、あっという間に帰ってしまう。
本当の息子のように可愛がっていた彼女は机に伏して泣いてしまう。寂しくて泣くのではなく、あの子が父親と再会できたことが幸せだと思って泣いているのだ、と言う。

家族とかご近所付き合いって良いもの

家族って良いものだ。それ以上に、家族という繋がりがなくても愛情を持ってご近所さんに接することができる、そんな関係性を大事にする文化や街の雰囲気がとても心地いい。

また、彼女は、自分さえ良ければいいという風潮に疑問を覚える。たとえば電車に乗るときに人を押しのけたりとか、そんなことを後々考えて違和感を覚える。高度経済成長とともに、忙しさにかまけて、徐々に視野が狭くなり、ついには身近な人への愛が薄れていってしまう。
そんなことって数えきれないほどあるのではないだろうか。

大人らしさとは

小さな共同体の中では、大人は良いことと、いけないことの両方を子供に見せない振りをしながら、見せていた。学校帰りに近所のおばちゃんが「元気だしなよ」と話しかけてくるのを疎ましく思いながらも、そんなに悪い気はしなかった。子供も大人も同じ土俵で生きている感覚を味わうことができたことは自分にとって今を生きる糧になっているように思う。


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