祝祭の日

 

 晴れたらお祭りがある国で、実は天気が操作されていたと暴露される話。

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 今日は晴れた。だから、祝祭の日だ。
 学校がなくなれば、会社も休みになる。花火が上がって、それを合図に出店が並ぶ。路上で演奏家たちが自らの楽器を手に取って太陽を祝福し、家族連れが街に繰り出す。夜になれば、恋人たちが手を取り合い、星を眺める。
 いつもなら高揚した気分になるというのに、今日は違った。窓から見える街はどんよりとしていた。雲のない快晴だというのに、道行く人々は空を眺めず、俯いている。
 気分が晴れない、そんな気持ちを皆と共有している。
 建国、それ以前から、この大地には雨が染みついていた。
 ほぼ一年中雨が降り、何百年も水害に悩まされていた。ダムが改良されるまで、一年に何度も洪水に見舞われたという。こんな土地では農作物もろくに育たない。
 ただ幸運なことに、ここは大国と大国を結ぶ要衝だった。雨が降り続けるという特殊な環境を嫌い、大国は攻めてこない。交易地として国は栄えた。
 それはもう歴史の話だ。
 私は眠い目をこすりながら、壁に掛かった仮面を取った。細めの鼻が高い男を模した仮面だ。被ると、視界がひどく狭い。ほぼ前は見えないと言ってもいい。剣を手に取る。これは真剣だ。私を図るかのように、剣は光った。
「行くよ」
 姉が廊下から私の部屋に顔を突き出した。姉はすでに荷物を準備していた。スポーツバッグから憤怒の形相を浮かべた仮面がはみ出ている。父が見れば、怒っていただろう。
「本当にお祭りやるの?」
 私の質問に姉は呆れたように、深く溜息をついた。
「やるに決まっているでしょ」
 私はまだ納得がいっていない。
 「政府が天気をコントロールしている」という告発がウィキリークスに掲載されたのは、一か月前のことだ。すぐにSNSに流れ、それから三時間ほど遅れてテレビに流れ、夕刊は一面で報じた。最初はデマだと思った。一部、SNSで怒っている人はいたけど、そんな突飛な話は信じられなかった。
 政府は雲を晴らし、晴天にできる技術を生み出していた。人工衛星を使い、宇宙から雲をコントロールするのだという。
 よくよく思い返せば、今年はなぜか晴れの日が多かった。二か月に一回、悪いときには一か月に二回も晴れた。五年、もしくは十年に一回が普通なのに、あまりにも異常だ。 
 SNSにたくさん存在する政治分析官たちは、すぐさま大統領の支持率低下と晴れの日の不可解な共通点を調べ上げた。
 一方、経済分析官は長く続く不況から晴れの日が経済刺激策として使われたと指摘した。予言者たちは少しの称賛を得られ、擁護者たちは保身のために言葉を濁した。
 祝祭に水を差すには十分な材料だ。
「どうして踊ろうという気になるの?」
 祭壇の近くに設けられた楽屋で、私たちは装束に着替える。身を清めたばかりだから、髪が濡れている。私は姉の髪にドライヤーを当てた。私と彼女の髪はベリーショートだ。私たちは髪を長く伸ばしたことがない。
「いつものことだから」
 姉はあっさりと言った。彼女は私の頭をタオルでこする。
「もともと神の力で雨が続いている、なんて信じてなかったし」
「じゃあ、何のために踊っていたの?」
 姉は首を傾げる。
「別に。この間よりも上手く踊れたら良いなあって」
 姉らしい答えだ。
 私たちの一族は神に仕えている。共和制に移行してから公的な職は解かれたが、祭祀だけは守られている。
 私は大学で宗教学を学び、毎日のお祈りも欠かさない。とはいえ、母はキリスト教徒だし、姉は無信心だ。一族で熱心なのは、私だけになってしまった。
 死んだ父は「守れ」と言った。踊りを見るのは、祭りにやって来た人たちだけじゃない。神も英雄も未魂――将来生まれる子らの魂だ――も皆見ている。彼はそう信じていたし、私も同じ気持ちだった。でも、それが裏切られた。
 私たちは祭壇に上がった。狭い視界でも今日は人が少ないのは分かる。今日の晴天は政府の操作ではない、とテレビでは言っていた。本当だったとしても、疑念を抱くのは仕方がない。観客の冷めたような視線が気にかかる。
 姉と私は互いに向き合った。私は頭を軽く振る。余計な考えは禁物だ。
 剣を持ち、身構えた。姉は太刀を肩に掛ける。
 私が英雄、姉は魔王だ。
 太鼓の音が響くと共に、私は姉に剣を振りかざした。姉が私の剣に対応する。剣舞とはいえ、真剣だ。一瞬の気の迷いも許されない。太鼓に合わせて踊りながら、私たちは神話の人物に成りきる。
 この国の神話は少し変わっている。英雄の名前が伝わっていないのだ。英雄がどういう人物なのか、私たちは知ることが出来ない。神話では、ただ魔王に抗った人物として描かれる。研究者によれば、英雄は民衆の象徴で一個人を指さない、のだという。
 けれど、私の考えは少し違う。
 姉と私の仮面がぶつかった。姉の息遣いが伝わる。姉の装束は私の物より重い。それに太刀も重い。姉の体力にはいつも感心してしまう。
私と姉は五合ほど打ち合った。太鼓の音は激しくなり、笛の音も早くなる。私は足を踏み鳴らし、姉の周りをぐるぐると回る。
 私はまた姉に躍りかかった。姉は私を突き飛ばす。私が一歩退くと、姉は大きく太刀を振るう。
 私はゆっくりと力尽きるように倒れる。天に向かって腕をあげ、ぐったりと力を抜いた。そこで太鼓の音が鳴り止んだ。
 剣舞はそれで終わりだ。
 英雄は敗れ、死ぬ。
 魔王は勝ち、神となる。
 神話では、人間は神に搾取される存在として描かれる。こんな雨が降り続ける地域では、卑屈な神話が生まれても仕方がない。大国と大国の狭間、という環境も影響しているだろう。 
 私たちは神の奴隷だ。
 神には抗わない、という意志表示を捧げるために剣舞は行われる。私たちは英雄のことを憧れず、ただの敗北者としか見なしていない。あるいは、それが神の狙いなのか。
 私と姉は祭壇から下がった。まばらな拍手が聞こえた。やりきったという幸福感はなかった。
 身体が重い。姉がスポーツドリンクをくれた。
 見ると、魔王の仮面が床に転がっている。
「今日はあんまり上手く行かなかったね。ちょっとタイミングずれた」
 姉は反省を始めた。私はタオルで顔をふき、椅子に座る。
「私も。今日はちょっと気が散っていた」
「あーだめだ、疲れた。しばらく晴れなきゃ良いけどさ」
 姉は装束を脱ぐ。私はしばらく動けそうにない。
「出店があるよ、何か食べようよ」
 姉は外の様子を伺いながら、子どものようにはしゃぐ。
 今日も姉と一緒に出店を回るだろう。それから星を眺めて、眠りにつく。
 明日になれば雨が降って日常が戻って大学に行く。雨はいやだなとか思いながら街を歩く。帰ったら、剣舞の練習をするだろう。
 まあ、いいか。
 祝祭はまだ始まったばかりだ。

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