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私が想うスピリチュアリティーとは?

親からの『呪い』を『祝い』に変えて、あなただけのマンダラ創りをサポートしているハカセです(^^)
今回は私が想うスピリチュアリティーについて、あなたと共有したいなと想います(^^)
今回は私の私見ばかりの記事なので(いつもの事ですが(笑)、合わないと想ったら遠慮なく流していただいて大丈夫です(^^)

さて、私は最近の流行りのスピリチュアルブームについては正直違和感があったり、合わない部分が多々あります。
それは、私の感覚なら、今流行っているスピリチュアリティーは『自我(エゴ)』の領域でのスピリチュアリティーに感じてしまうからです。
『自己』や『身体』を統合し含んで超えた先の、スピリチュアリティーだとは想えない情報が多いからです。

例えば『波動が高い』という表現。
スピリチュアルな領域は上下優劣や2元論ではなく、それらが統合された領域です。
そして、『高い』という表現は、高低や上下がある表現です。
であればこの表現自体、2元論の領域であり、意識の領域です。

あと、よく聞く『宇宙の法則』といコトバ。
この話をしている人のほとんどが『人の法則』の話をしているように聞こえてしまいます。
宇宙の法則という事をいうのであれば、そもそも人が居なくても成立しないと宇宙の法則とは言えないと想います。
(ここで観測者がいない事象をどのように表現するかという話はありますが、それはここでは置いておきます)
それに『人の法則』を話すのであれば、ケンウィルバーのインテグラル理論の様な包括的なモデルを意識する必要があります。
でなければ、カテゴリーエラーを起こしてしまいます。

私はトランスパーソナル心理学や井筒俊彦さんの著作を通して、神秘主義、スーフィズム、老荘思想、シャーマニズム、禅や華厳経、唯識などの仏教などの哲学や理論に触れて来ました。
その影響から、スピリチュアルな領域に関しては、身体的精神的修養等を通して哲学的実践的に発現発揮するものだと考えています。

簡単に表現すると、無文節と文節を同時に2重写しに知覚する。
それを意識の領域ではなく、実体験の領域で知覚する。
私とあなたは一緒の存在だけれど、違う存在でもある。
主体と客体が別れていないと同時に、主体と客体が存在する。
このような二律背反が同時に知覚できる領域、それがスピリチュアルな領域です。

さらにルドルフ・オットーの表現する所の『ヌミノーゼ』のように、神聖なモノに対してはある種の恐怖、不気味さを伴うことが本来だと想っています。
ですから、単純に心地の良い感覚だけだと、それはスピリチュアルな領域というより、意識の領域の快不快の可能性があります。

このように、スピリチュアルな領域が本当にスピリチュアルな領域なのか、自分の意識の領域でスピリチュアルな領域だとカテゴリーエラーを起こしているのかの精査が必須だと想います。
これを別の角度から言うと、カウンセリングやセラピーの中でクライアントさんが言っている事が、ココロの傷なのかスピリチュアルエマージェンシーなのかの精査が必須だという事です。

このように、私は私の信じるスピリチュアルな領域の探求をしています。
ですので、今流行っているスピリチュアルな話と感覚的に合わないと感じる部分が多々あります。
そして、私は皆が好きなスピリチュアルな話で、その人がより良くなったり幸せになるのならそれでいいと想います。
ですが、それが合わないと感じる人は自分が合うスピリチュアルな領域の考えや実践をしていくことをオススメします。
皆が信じているからと言って、あなたがそれを信じる必要はないのです。

今回は、私の想う、私が信じるスピリチュアルな領域の話をしてきました。
私の考えや感じ方が、何かしらあなたのサポートになるのなら、これほど嬉しい事はありません(^^)
あなたがどのように感じたか、それを大切にしていただきたいと想います(^^)


より詳しい事、詳しいやり取りはこちらの公式lineから(^^)
合わないと想ったらブロックも大丈夫です(^^)
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