AO

歌って撮ってかきます。

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最近の記事

学校がだめ=私

私は、学校がだめだ。 小学生になって、私の学校生活は始まった。 それ以来、夏休みどころか、毎週の土曜日が待ち遠しかった。土曜日は朝ゆっくり起きて、習い事に通う以外は基本的に家で好きなことができる。遊びたければ誰かを誘えばいいし、祖父母の家に行ってもいい。選択肢があって、その選択肢を把握する心のゆとりを持てる心地よさが生まれる。 でも、土曜日が近づく木曜日や金曜日あたりから、土曜日が終わるときのことを考えた。土曜日が終われば、日曜日が来る。日曜日は休みだけど、学校が始まる月

    • 拝啓 学校がしんどい私へ

      小学1年生になって、朝、学校が怖くてどうしようもなかった。怖くて、不安で、心細くて、上手くやれない自分が恥ずかしい。小学校は大きくなった子が行くところだから、泣いてることが恥ずかしくて涙が止まらない。なんでこんなに泣いてるのかもわからない。やっと馴れても、長い休みが終わればまた振り出し。休日も終わることがすごく怖い。ただ、そんな自分がはやく普通になれることを思うしかない。 毎日をこなして、そのときの自分なりに大きくなれるように頑張る。でも空回りすることのほうが多い。わからな

      • 小学生時代の給食事情

        どうも、AOです。最近よみがえった記憶。それが今回のお話。 小学生のとき、給食の時間が来ると嬉しかったですか? 自分はそうでもなかったです。低学年の頃はとくにしんどかったです。 これだけ言うと、「なんだ、ご飯が嬉しくないのか」みたいに思われるかもしれないですが、そういうことではないです。はい。 思い出してみてほしいのですが、給食の時間からお昼休みにかけて、ずっと食べてる子っていませんでしたか?下げられた机に囲まれて、一人ぽつんといる子。それが自分でした。 一人でご飯を食

        • 保健室

          どうも、AOです。 今回は、保健室登校って、かなりギリギリのラインじゃないの?と思っている方へのお話をします。 多分、保健室登校の内訳にもよるとは思います。ここでは自分の経験を元に話していきますので、一つの考えとしてとらえていただけると幸いです。 自分の場合は、朝保健室に荷物を置いて、行ける!っていうときは授業にそこから行くというものでした。単位もあるので、出来るだけ授業に行くし行きたいのですが、やっぱり無理なときは保健室で勉強します。 保健室登校は、一つの立派な選択

        学校がだめ=私

          隅っこでも置いておいて

          どうも、AOです。 最近、過去のことを振り替えって考えることが多いのですが...。自分の場合、保健室登校になるまで何度かスクールカウンセラーさんに相談しに行っていました。 最初は何をどう話せば良いのか分からなくて。何が原因でしんどいのか、苦しいのかをはっきり言葉に出来ていない状態。 でも、きっとその時の自分は、とにかく吐き出さないとどうにもならなかったのだと思います。 相談ってどういうこと話せばいいの?という人がいれば、ひとまず思っていることを率直に話すと良いと思います

          隅っこでも置いておいて

          カーストかそれ以外

          どうも、AOです。 カースト よく聞きますよね、カースト。クラス内での人間関係に大きく関わるもの。一軍、二軍、三軍とわかれ、大方一軍の人たちがクラスの主導権を持っているわけです。 高校生の自分は三軍、もはやどこにも属していなかったと思っています。角が立つ言い方ですが、興味が無かったわけです。 興味が無かったというのは、「無理してどこかに属する」ということにしんどさを覚えていた。という内容です。 何故カーストが出来るのだろうということには興味があったと思います。 自分

          カーストかそれ以外

          若気の至りとは

          どうも、AOです。 若気の至りって...。というお話。 人間関係で、「若気の至りで」ってなることあるじゃないですか。 例えば、中学生のときのことを、高校生とか大人になってから思い出す。そんなときに、「ああ、なんでもっとうまく言えなかったんだろ」と感じる。 物凄く自分勝手で弱いなと思います。 そう思っていなくても、人を傷つけた場合、それらを「若気の至り」として一括りにはしてはいけない。背負ってるんです!っていうのも違う。 その傷つけた人の気持ちも人生も、背負えるほど軽く

          若気の至りとは

          クラゲ

          どうも、AOです。 正しく伝えるって難しいなあというお話です。 初回から読んでいただいている方々はご存知だと思いますが、自分は学校が嫌いでした。本当にこれは耐えられないとなったとき、最大のミッションは両親に伝えること。 それこそ、熱が出ない限り学校を休むなんてほぼ駄目な家だったので「学校に行きたくない」なんて中々言えなかったわけです。 (それでも無理矢理2ヶ月に1回は休んでたかも。) このミッションの重要なポイントは、いかに理由を正しく伝えられるかどうか。言葉にできるか

          クラゲ

          しこう

          どうも、AOです。 皆さんが学生時代、好きな科目は何でしたか?嫌いな科目は?嫌いというより苦手だったという人もいるかもしれません。今回はそんなお話。 以前、歴史が好きだったと書いたと思います。 歴史はいいですね。ふと道を歩いているとき、「弥生時代のこの場所はどんなだったのか」なんてことを考えることもあります。脳がこそばくなって、胸がざわざわします。 資料集に載っている様々な遺跡や彫刻、建造物...。当時に吸い込まれるような、匂いがするような感覚になります。 今、自分が生

          しこう

          堂々巡り

          どうも、AOです。 「人としてこの道それちゃいけない」 そういうものってあると思います。道徳とか理性とか倫理とか。この世界で生きていくなかで、絶対に無くしちゃいけないというものがあります。 自分はどうやらその部分が重いようです。 家事の手伝いをするとき。何を真っ先に考えますか?自分は「何か言われること」「怒られないこと」こういうことを考えてしまいます。 そんなん普通で当たり前 友人は言います。これを読んでいる方の中にもそういう方はいると思います。 でも、自分の中で

          堂々巡り

          ホームシック

          どうも、AOです。 自分はいつから学校が嫌だったのだろうか そう考えるたびに、父に泣きついている小学生の自分が思い浮かびます。朝の通勤前に困ったでしょうね...。申し訳なさを感じながら泣いていたことを覚えています。 学校へ行っても泣き、日曜日の午後、アイスを食べているときも泣き...。 とにかく「学校」と「学校へ行く」ということが自分に迫ったとき、物凄く心がざわざわしました。色んなことが怖くて、例えば給食の時間とか。 自分はあまり好き嫌いがなく、苦手なものでも食べる

          ホームシック

          教室

          どうも、AOです。 題からして、今までの記事を読んでいただいている方々は、「中々行けなかった教室のことかな?」と思われるかもしれません。しかし、今回はそうではありません。 ある日気づいたことがあります。 教室は世界だということです。 よく、学校は小さな社会だと言われます。それは本当にそうだと思います。最早、国だとも思ったこともあります。複雑な人間関係、勢力図、カーストなんかはよく聞きます。ある意味自分第一主義。外から見えない子供の社会は、もしかすると普通の社会よりタチ

          教室

          エスケープII

          どうも、AOです。今回もどうかお付き合い下さい。 保健室に居ると、色んな人を一方的に覚えるわけです。学年や、クラス、時には部活とか。「へー」くらいですけどね。 今回は、そんな保健室でのお話です。 通っていた学校の保健室は、入ってすぐ左手にテーブルがあって、ソファもありました。主にテーブルのお誕生日席が定位置でした。 授業中は大体、その時に他の子たちが受けている教科をやっていました。 時々、授業の無い先生が保健室に来ることがありました。仲のいい、よく話す先生が来たら、そこで

          エスケープII

          「嫌い」の中の「好き」

          どうも、AOです。 今回は、「嫌いだった学校での好きだったこと」について話していこうと思います。 好きだったこととは、歴史の授業と美術の授業のことです。中でも今日は、美術の授業に焦点を当ててみましょう。 高校2年生のとき。文理混合クラスで、芸術選択もバラバラだったんです。だから、もう1つのクラスの美術選択の子たちと一緒に受けていました。 そのもう1つのクラスには、1年生のときクラスが同じだった友達がいて。席も自由だったので、少し大きめの机に、その友達と今同じクラスの友達と

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          エスケープ

          どうも、AOです。 私は、学校が嫌いでした。 いきなり何だと思われそうですが...。今回はここから始めます。 いつからそうなったのかは、正直わかりません。ただ、中学のときにはそう思っていて、でも部活は好きだったのでそこそこ毎日通えていました。ただ、良くわからない感情はありました。 高校に入って、1年生のときはまだギリギリ頑張ってました。 2年生。苦しかった。 もう毎日がサバイバル。朝起きるところからそれは始まっていて。もしかしたら前日の寝る瞬間からかもしれません。

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