クラゲ

どうも、AOです。

正しく伝えるって難しいなあというお話です。

初回から読んでいただいている方々はご存知だと思いますが、自分は学校が嫌いでした。本当にこれは耐えられないとなったとき、最大のミッションは両親に伝えること。
それこそ、熱が出ない限り学校を休むなんてほぼ駄目な家だったので「学校に行きたくない」なんて中々言えなかったわけです。
(それでも無理矢理2ヶ月に1回は休んでたかも。)

このミッションの重要なポイントは、いかに理由を正しく伝えられるかどうか。言葉にできるかどうかなわけです。ここで不思議なのが、友人や保健室の先生たちにはゆっくりでも話せるのに、両親を前にするとできないこと。喉がキュッとなって、「いや、ああ...違う、」みたいなことしか出ないんです。それもやっと出るような情けない感じです。
その分発せられなかった感情が、冷や汗とか涙で出るんですね。そりゃ「泣いてないで言って?」状態になるのも当然。

まあ、何度も何度も話してやっと、保健室登校とか、途中から行ってみるとか、そういう段階に行き着いたわけです。
そこからも苦しさはあるわけですが、やはり話してくれたあの自分には本当に感謝です。

で、やっぱり自分は「学校」というところが苦しかったんだなと最近改めて思いまして。
母にぽろっと話したわけです。
「やっぱり自分は学校というものが嫌やったんやなあ。」
そうすると、
「それはな、みんな一緒。」
と、お茶目に返ってきました。

ふむ...。やっぱりまだ理解までは至っていないのか。

この事にかんして、全く両親は悪くないし、悪く思っているのかな?と感じられた方がいましたら、それはやはり自分の言葉の拙さです。

何を言いたいかというと、「正しく伝えるって難しい。言葉を届かせるって難しい。」ということです。

ぐるぐる渦巻く感情を正しく伝える、形容する言葉を見つけるって本当に時間がかかります。
普段の何気ない会話でも、
「この言葉かな?いや、こっちか...え、大丈夫?いや、これだな...」
こういうことをバーッと巡らせるんです。で、その後振り返りです。そのとき、「いや、違ったやん...」ってもう1つ違う言葉が浮かぶなんてよくあって。
きっと今までそうして沢山の人を傷つけてしまったんです。自意識過剰とかそういうことではなく、言葉は生きていて、根付いた先で棘になっていることだってあって。そういうことをしないために、もっと正しく伝える、言葉を見つけることをしないといけないんです。

と、思うわけです。


思考をどういう風に言葉にしていけばいいのか、どうしたら伝わるのかまだまだ発展途上です。
色んなことにかんして思考していると、酸欠になります。くらげみたいに、深いところに沈みかけて「おっと、また苦しくなるところだった。」と浮いてくる。で、また沈む...。


うん...やはり正しく伝えるというのは難しいですね。


ここまで読んでくださりありがとうございました。
良ければ今までの回もご一読ください。


じゃ

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