「嫌い」の中の「好き」

どうも、AOです。

今回は、「嫌いだった学校での好きだったこと」について話していこうと思います。
好きだったこととは、歴史の授業と美術の授業のことです。中でも今日は、美術の授業に焦点を当ててみましょう。

高校2年生のとき。文理混合クラスで、芸術選択もバラバラだったんです。だから、もう1つのクラスの美術選択の子たちと一緒に受けていました。
そのもう1つのクラスには、1年生のときクラスが同じだった友達がいて。席も自由だったので、少し大きめの机に、その友達と今同じクラスの友達と座っていました。それが、少し気が楽でした。

美術の先生はすごく良い先生でした。「これ、やってみたいです。」そう言うと、「いいよ、面白そう。」そう言ってくれる方です。
2年生のときの静物画制作で、墨汁を使ってみたかったので聞いてみると、「どんどんやってみ。」と、GOサイン。
陶芸のときに、絵付けで文字を書くこともそうでした。さらにこうしてみるといいよ、とか、これ使うと面白いかも、とか、アドバイスも沢山くれる先生でした。

さらに良かったのは、自由にやれること。
地べたに座って描いても怒られなかった。周りに邪魔にならないように、コンパクトになってましたけど。
そして、1年生のときに、学校の敷地内で好きなところを見つけて描くというもの。その時一人でのびのび描けたこと、これは本当に良かった。
学校の敷地内なので、教室から出てする。広い空間に一人で静かに、黙々と描ける。それがすごく心地よくて、気が楽でした。

もともと、人が多いところが苦手で、身体がスポンジみたいに雰囲気を吸い取ってしまうんですね。
でも、美術室は教室が広めで、教室としてはましでした。美術は朝から二時間の授業だったんですが、その日は特に間に合うようにしていました。
毎朝起きるのも辛かったんですが、やっぱり美術の授業は受けたくて。それが、次の授業で教室に入るためのきっかけにもなりました。


ちょっとしたことで、
「行けるんじゃないか。」
「頑張れるんじゃないか。」
そう思える瞬間もあるわけで。
自分の場合、出席単位を落としていくことが凄く怖く思えていたんですね。それに、「こうやって嫌なことから逃げていたら、大人になって社会に出たときどうするんだ。」とも思っていて。そうやって、終わりの無い感情や考えが、ぐるぐるぐるぐる巣食っていく。でも、そんな中で台風の目みたいな、ぽっかり空いた穴のところから少しだけ薄い黒が見える。「ちょっと爪を立ててみるか。」くらいに触れたら、その隙間から僅かではあるけれど、一瞬かもしれないけれど、光が射す。だから多分、立てる爪がこの場合は、好きな授業だったのかなと思うのです。

なんか、最後がものすごく「うわぁ...」って感じですが、これが今、色々なんとか言葉にしようとした結果です。形容してみたことです。
結構な長文になってしまいました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

それでは次回に。

じゃ。

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