【楽園の噂話】 Vol.19「殺人よりも悪いこと」(No.0129)


 とても物騒な表題で申し訳ないのですが、こう書くより仕方のない内容ですのでご容赦頂きたいです。


内容はもう長々書くことも無いほど明瞭な話で、要は「勝手に判断する事」がとても大きな罪として扱われるのです。


戦争以外では人殺しも「勝手な判断」の範疇ですから罪になりますが、人死にが出ていなくても人々がそれぞれに「勝手に判断し」行動する事は大罪であると私達はことある毎に刷り込まれて来ているのです。


勝手に行動し判断する存在を人々はよく「リーダー」や「天才」や「クリエイター」と言って見上げ尊敬を持って特別視しますが、本来誰だって勝手に判断して勝手に行動するものです。 それが特別視されるという事は、つまりその「罪の意識」は幼少の頃にどっぷりと染み込まされていると言う事です。

今現在もウソのウイルス騒動で、幼少時代を送る人々は「勝手に」マスクを下にずらす事すら「罪である」と刷り込まれております。あの子達が20歳を迎えた時、その罪を教え込まれた為に、彼らは成人式もマスクでする事になるのでしょう。


たがたが落書き1つとっても「許可」無しには出来ない大人もたくさんおります。

名作映画で名高い「ショーシャンクの空に」で、出所したモーガン・フリーマンが勤め先のスーパーマーケットでトイレに行くのに店長に許可をもらうシーンがあります。

その行動に店長は不快な顔をして、


「小便くらい勝手に行け」


と、小言を言うのです。言われたモーガン・フリーマンも用を足しながら、


「許可を取らないと小便も出なくなってしまった」


と言い、長い刑務所生活で染みついた悪習を嘆きますが、このシーンを観ても眉1つ動かさないのが日本人だと思います

日本は全ての環境で小便1つも許可無しには「勝手に」出来ません


狂ってます。


でも狂っているとも思わないのです。

真夏の様相を窺わせる日もあるこの関東地域で、なおも連日ひざ下程度の子供にさえもマスクを付けさせる親や教師たちがマジョリティーなのです。


本当に狂ってます。


「勝手な判断」を罪として考え刷り込む者たちは、人々の「自衛」すら勝手な判断として捉えているのです


これはとても恐ろしい事です。



「勝手な判断」が罪であるから、それを守った後の結果については誰も何もしないのです



野ざらしのガードレールを誰も雑巾で磨かないように。


道端に放られた小動物の死体を避けて通るように。


冬枯れの木の葉が道に敷かれるが如く、その「結果」に対しては誰も何もしないのです。


もしガードレールを拭いたらそれが「勝手な行動」であり、その鳩の死骸に涙すればそれが「勝手な判断」として責任を背負わされるのです。


「勝手な行動」が罪と制定される事とは「感じた」者が負ける世界です



苦しいと感じたら負け

寂しいと感じたら負け

痛いと感じたら負け

嫌だと感じたら負け

可哀想と感じたら負け

悲しいと感じたら負け

愛が欲しいと感じたら負け・・・




殺人という罪はたとえ被害者が100人いようとも、一人ひとりを殺めた罪で裁かれます。

しかし「勝手な判断」を罪として教え込まれた世界では、それで苦しみ命を落としても誰も責任は取りません。

それが何億人に影響を与える事であっても、何万人が命を落としても、さきの大戦を煽って煽った大新聞マスコミを見るまでもなく、誰も責任を取らないのです。


被害者の名も顔も知らぬまま、この極悪な罪の制定と拡散実行に手を貸したもの達の罪は、もはや謝罪すら不可能なほどに重いのです。



【楽園の噂話】 Vol.19


「殺人よりも悪いこと」(No.0129)



おわり


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