【楽園の噂話】Vol.3「まるでみかんの皮のよう」(No.0031)



 老人がマナーやルールを守らず迷惑をかけることが現代特有かというと別にそんなことはなく、大体歳を取ると細かいことはルーズになるのは当然かと思いますが、社会は概ね近代化によって高度な文化文明を築き上げた為に裏を返すとそれは精密で脆いことを意味するわけでそこに過去を引きづりなおかつ肉体も精神も老化した人が日進月歩の社会についていけるわけがなく、計算された平均像から常に外れ続けるためにどこでも疎外感を受けてしまうのです。


別に極端な人生を送ったわけではないはずの人達が殆ど会話の成立が難しいほどになっているのも、その姿しか知らない人には首をひねることですが、おそらくは元々がそういう人達なのだと思います。


これはいずれ細かく書く必要があることですが、人との関係性が上下関係と損得関係しか知らない人達なので店員や目下の存在、若いものが自分と対等であったり、そのように扱わないといけない風潮にはもうその時点でストレスなのです。この風潮の価値については理解してないし出来ません。


歳を重ね経験が積まれるのだから知恵がつくのでトラブルは避けられるし避けるものですが、誰もが歳と知恵が比例にあるわけではありません。


若さゆえの未熟さが人に良くも悪くも余裕を与えますが、歳と知恵が比例しないうえに余裕を失った人が、少しでも気に触り相手が弱く言いなりになりそうなときに、ここぞとばかりに相手を傷つけに来るのは、剥こうとして指を入れた瞬間に中に指が刺さり身を潰してしまったみかんのように、メッセージ程度の刺激さえダメージを感じるほど、彼らの皮は乾き薄くなっているのです。


間違った優しさを振り回す人がそんな彼らに毛布を被せる時がありますが、これが一番の間違いだと思います。こういうその場しのぎは結局彼らを苦しめ、つけあがらせる行為でしかありません。


しかし彼らも解決策はそれしか知らないので、なぜ私達に毛布を掛けないのかと怒りを撒き散らし人々の冷たさを嘆き自分たちの正当性を暗にアピールしますが、この繰り返しをした結果が今なのですからいい加減にこのプランは間違っていると気づいて欲しいです。


笑うことが必ずしも楽しい訳では無いように、生真面目にすることが必ずしも苦しい訳ではありませんから、どうか真面目になってほしいです。


彼らの当たり前の中にある悪しきものや嘘を取り去り、正しいもので埋め真実に突き進んで欲しいです。


早いほうが良いのは当然ですが、歳を言い訳にして諦めないで欲しいです。

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