【2つめのPOV】シリーズ 第5回 「実り 」Part.1(No.0203)


パターンA〈ユスタシュの鏡〉


[side:F]


 私の止まっている民家の屋根からだとあの柿の木がよく見える。私は以前、あの柿の木に命を救われた。


私達カラスは初夏のあたりで巣立ちをおこなう。私もみんなと同じくらいに若鳥として巣を発った。
卵から孵って以来、同じ巣の中からしか見たことがなかった世界を、私は空から眺めることが出来るようになった。両親からは世の中のことを一通り教わってはいたものの、やはり世の中を自分の目で見渡したことへの感動と興奮がなかなか止まなかった。巣を発ってすぐに様々な危険にも出くわしたが、それでも日々触れる真新しい刺激への好奇心を抑えることはできなかった。

同じ時期に巣立った仲間たちとも知り合い、この感動を分かち合ったりもした。スズメやハトなど、種類は違えど同じ空の住人同士でおすすめの餌場や落ち着ける木々なども教え合ったりした。ときには敵であるネコとも知り合い心を通わせたりもした。
私は毎日、親鳥の庇護から外れたリスクと、監視から解放された喜びを全身で噛みしめていた。


巣を発って三月ほどで季節が変わった。
この頃にもなると、若鳥の私でも自分の生活に関わることは大体見慣れてきており、日々の生活を構成するルーティンは出来上がっていたつもりであった。朝、起きたら近所のスズメに挨拶してからあっちの公園で地元のハトたちの迷惑にならない程度に気を配りながら食事を探しつつ何か珍しいキレイなモノを拾ったり、仲間のカラス同士で良さそうなゴミ箱や餌場の情報を交換しあったり、お互い届かないところの毛づくろいを協力し合ったり、安全な休憩所で昼寝したり・・・。

生活の範囲は決して広くはなかったが、巣立ちから3ヶ月でかなり安定した生活サイクルを完成させたことは自分でも誇りに思うほど嬉しかった。

毎日が単調に思えるような同じことの繰り返しで、それが周りから小馬鹿にされるような稚拙なものであってもその繰り返しを作り出すことは決して容易ではなかった。親鳥から口伝てで教わったことは確かに大切ではあったがやはりそれ止まりで、実際に一人で自分の生活を立てるとなると殆どが手探りに近かった。しかし教わった知識のなかの

 ” 解らないときは解るものに聞くんだ ” 

という教えは確かに役に立った。これほど頼った知恵は他に無いほど役に立った。

しかしこの季節になって現れはじめた、柿の実を取るときにはその教えを使うことは出来なかった。
なぜなら聞く相手が居なかったからだ。
教えてくれそうな連中全員がその柿の実を求めて激しく奪い合っていたから。


私はその頃、季節の変わり目と食糧不足にぶつかり空腹の日が続いていた。
朝からふらつく身体で巣から飛び立ち、橙色の実を結ぶ木を求めて生活圏を回っても見つかるのは同じカラス同士での激しい奪い合いばかりだった。
ハトやスズメ達もあらわれ、彼らは彼らで争い合っていた。


私は柿の実の事は巣を発つまで知らなかった。偶然見かけたその瞬間から、柿の実が放つ美しい魅力に引き込まれた。
私は作り物のような艶のある実を付けた木に、その味を想像しながら大急ぎで近づいたが、周りに陣取っていた先輩方に止められ厳しく注意を受けた。

どうやらこの柿の実には縄張りがあるようだった。また縄張りのない木もあるとのことだったが、そういうところは現在目の前で起きている通り日夜バトルが繰り返され、とても新参者が参入できる状態ではなかった。


結局私は、こうして柿の木を前に彼らのおこぼれが出るのをジッと待つしかなかったのだが、深刻な餌不足は私だけではなくこの一帯すべての動物たちに降り掛かった問題であったので、おこぼれなど出る余裕は無かった。

他の餌場も連日どこへ行っても空っぽか、もしくは奪い合いで近づくだけ無駄だった。


空腹を抱えて数日経った日、いつもどおり朝からぼんやりと巣から最寄りの柿の木の前で奪い合いを眺めていると、見覚えのある顔が隣に止まった。
そいつはどこかの餌場で挨拶した程度の関係であったが、そのときから気に入らないヤツだったのですぐに分かった。


「おい、どうしたボンヤリとしやがって。顔色も悪いぜ⁉ 」
「放っておいてくれ。」
「ははあ、さては食いっぱぐれてるな、お前。まあ、この状況では無理もねえさ。どいつもこいつも、何処行っても同じような腹を空かせた連中ばかりだからな。最近は柿の木も減っちまってるし、朝からぎゃあぎゃあ奪い合うのも仕方ねえよ。ははっ。」


私は目を合わせず無視してジッと柿の木を見つめていた。


「オレもこの間まで餌がなくて困っていたからな。よぉどうだ? 良かったら特別に教えてやっても良いぜ? オレの秘密の餌場をよ⁉」


空腹だった私は、餌場のことを聞かされて、思わずヤツに目を向けてしまった。


「お、やっとこっち見たな、へへへ。今からちょうど行くところさ。ついて来い」


枝を勢いよく蹴り飛ばしてヤツは飛び立った。
嫌だったが、仕方がない。私も枝の揺れに合わせるように飛び立ちヤツの後ろを付いて行った。


ヤツは秘密の餌場と言ったので、一体どんな所かと思っていたが、ヤツが降り立った場所は案外近場であった。

そこは私も何度も近くを通ったことがある学校であった。
大きな建物と広場があるごく普通の学校で、特別何か果物や野菜を作っている様子は無かった。
私達は学校を見下ろせる位置にある電線に止まった。


「ここが何なんだ? ただの学校じゃないか。おまけに今日は休みのようだぞ。誰も居ない。どんな餌があるっていうんだ?」
「そうだろ? 一見なんにも無い学校に見えるんだ。だから穴場なのさ。ほらよく見てみろ。あの角だ。わかるか?」


ヤツはそう言ってクチバシで方向を示した。そこには広場の隅に建てられた小さな小屋があった。


「あの小屋のことか? あれが何なんだ?」
「こい」


ヤツは電線から飛び、小屋へ向かった。私はとにかく付いて行った。


建物の屋上に止まった。ここはちょうど小屋を真下に見下ろせる位置だった。


「いいか。オレが行くからお前はそのままで待ってろ。呼んだら来い。わかったな?」
「待ってくれ、何処に行くんだ? あの小屋に入るのか? いったい何があるんだ?」
「いいから黙って言うことに従え。とにかく呼ぶまでは待ってろよ?」


ヤツは私の質問を無視し、恫喝するように睨みを効かせると小屋へまっすぐに落ちるように飛んでいった。
私はヤツが何をするのかわからず、とにかく目をしっかりと小屋に向けて見ていた。
するとヤツは小屋のトタン屋根の上に降りると、屋根の真ん中にある繋ぎ目のところにクチバシを突っ込んだ。
すると屋根はめくれ上がってそのままヤツは小屋の中へ入っていった。


ーーいったいどうなっているのか・・・


私は自分がなぜこんなところにいるのか、どうしてヤツはスルスルと小屋に入れたのか、分からないことが一時に降り掛かってきたせいで混乱していた。きっと空腹のせいだろう。そうでなければ、あんなヤツと一緒に餌探しなんてしない・・・


そのとき突然、ギャーという叫び声が広場一帯に響いた。
私のボンヤリとしていた頭に緊張が走り、一気に目が覚めた。


ーーあの声はヤツのか? いや、違う・・・でも小屋からしたぞ!


私は急いで飛び立ち、小屋の屋根へ降りた。
ヤツと同じ場所へ降りてみて分かった。なるほどそうだったのか・・・


小屋の屋根は真ん中を境にして段がある構造だったのだ。段の幅はネコ一匹程度で、その隙間を板と金網で埋めていたようだが、どうやらそれが外れてしまっていたのだ。先日の台風のせいかもしれないが、そのせいで高い方のトタン板が低い方へ垂れ下がっていたのだ。


私はヤツの真似をして垂れ下がったトタン板にクチバシを突っ込んでめくり、そこから首を突っ込んでみた。
するとトタン板の下はすぐに小屋の中に繋がっていて、真下に広がる小屋全体が一望できた。
それでやっとそこが何なのかが判明した。


そこはニワトリ小屋だった。学校で育てているニワトリたちの住処だったのだ。
私は急に目の前に現れた小屋の世界に驚いた。しかし、さっきの悲鳴の正体を見て更に驚いた。いや恐怖した。


それは小屋の主である母ニワトリの絶叫であった。


間違いない。なぜならその母鳥の前でヤツがひよこを食らっていたからだ。


私は思わず声を出した。


するとヤツはクイッと真上にいる私に首を向けた。

「よう来たか。 どうだこのご馳走は? へへへ、良いだろうここは? 食い放題だぜ! このひよこも美味いが、そこにある卵もまた美味いんだぜ⁉ そっちはお前にくれてやるよ。さあお前もそんなところに居ないで入ってこいよ、ほら?」

そう得意げに喋るヤツのクチバシはひよこの血で塗れていた。

ヤツはあろうことか同じ仲間である鳥を食らっていたのだ。それは決してやってはならないことだった。それは雛鳥の頃から両親に教わっていたし、何よりも魂が理解している罪だった。
しかしヤツはそれを私の目の前でやっていた。それも母鳥の前で!


私は激昂した。小屋の中へ急落下してヤツに飛びかかった。ヤツの上にのしかかり怒りに任せてヤツの目をクチバシで何度も突き刺してやった。
ヤツはギャアギャア喚いてもがき暴れたが、私はヤツの骨がへし折れるほどの力で爪を立てて足で抑え込み、何度も頭を突き刺した。


気がつくとヤツは動かなくなっていた。私は冷静さを取り戻すとヤツを離し、母鳥の方を見た。
すっかり怯え悲しみに暮れた表情をしていた。


私はヤツの死体を蹴り飛ばし、母鳥に詫びて小屋から出ていった。


巣に戻った私は、今起きた出来事を心のなかで整理する余裕も無くそのまま眠りについた。

強い日差しで目を覚ますと朝だった。あれからずっと眠ってしまっていたようだった。
取り敢えずいつもの柿の木の前まで飛び立つが、目眩がしてまっすぐに飛べない。
無理もなかった。連日の空腹に加えて昨日の格闘で身体はすっかり弱っていた。


私はフラフラと飛びながら、柿の木に今日こそは余裕があることを願っていた。


しかし、やはりいつもの通り入り込む余地はまるでなかった。
ギャアギャアと激しい争いを繰り広げているのを呆然と見るしか無かった。


私は彼らの食い散らかしたカスでもいいから貰いたいと思い地面に目を向けたが、そこはそこでハトやスズメが占拠していた。
私は目線を上に戻す元気も無かった。ぼんやりとスズメやハトが溢れたカスをついばむ姿を眺めつつ、昨日のことを思い出していた。


ーーそういえばヤツは言っていた。ひよこも美味いが卵も美味いって・・・


私はスズメやハトがついばんでいるものが、ひょっとしたら食べかすではなくて土そのものなのでは無いかと考えだしていた。


ーー柿の実はあの硬い枝と幹に繋がっていて、その幹は土に繋がっている・・・ つまりは、柿の実は土から出来ているわけだ・・・ だったら実は土は美味しいのではないのだろうか・・・?


疲労と空腹で意識が薄くなっていた私は、気づいたら自分が止まっている木の根元に下り、地面にクチバシを突き刺してその黒い土を食べていた。


つづく


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