【楽園の噂話】 Vol.20「簡単感動洗脳」:前編(No.0151)
感動モノやお涙頂戴モノは小馬鹿にされつつも、いつだってどの国だって人気が絶えることは有りません。
露骨に感動を売り物にしているものは少し大人になると鼻白んで相手にしなくなるものですが、そうでは無く普通の作品の中に登場する感動エピソードにはスンナリと心を動かされてしまいます。
これは映画、漫画、小説などのフィクションに限らず「本物」であるテレビやニュースなども感動は強調されますし、その売り出し方には何の違いもありません。しかしあまりその部分を強く押し出されますと嫌らしさを感じるものですが、どう思われようともその効果はバツグンなのです。
動物に関心の無い人が犬ネコのドラマに感動し涙を流すと、その後にペットを買いたくなり、恋愛モノなら恋人を欲しがり、アクションなら格闘技や武器を欲しがったり、ジャッキー・チェンならカンフーをやりたがるものです。
感動モノが作られる時には、その種になる史実や事件などがあるものですが、無いものも沢山あります。全くのゼロからというものは殆どありませんが、過去作品を真似して製作される事は一般的で、その元にされた作品には何らかの現実的なエピソードが裏にあったりはします。
しかし創作となると、その史実や事件をどう扱おうと作る側の自由で、好き勝手に加工されます。
その加工の理由の殆どが面白くする為に行います。要は「感動」です。
さきに挙げた事例の様に、人は感動で行動も情動も大きく変化します。医療系マンガを読んでドクターを目指す人だって居る程です。
しかし、人の人生に多大な影響を与える「感動」は、案外簡単にコントロールが可能なのです。
かつて、映画は一大産業でありました。映画会社は全てのスタッフを社員として抱え込み、映画はまるで工場のようにして「大量生産」されていたのです。
ですから、作品というよりも明確に「商品」でした。この部分は今も変わりませんが。
商品ですから当然生産に必要な「ノウハウ」や「生産技法」はあり、共有されてきました。
人の人生を変えるほどの影響力を持つ作品とやらは、ビジネスとして工場生産で生まれるのです。
つまり生産に必要なテクニカルな部分はハッキリと存在しており、人が感動する理由には明快な根拠が確立されておりビジネスに活用されているという事です。
人の手によって、人の人生がコントロールされると言うのは、何だかとっても不快で気味が悪い気がしますが、実際は何の躊躇も無く制限も無く使われています。
しかし作品は技術だけでは出来ません。先程書いたように元になる種が必要です。
この種を、技術で作品に仕立て上げる訳です。
料理のようなもので、材料と手順と言う訳です。
これが単にお金儲けの為だ、となるならばまだ許せるものですが、その制作意図が「コントロール」だとしたら、不気味な悪意を感じるほかありません。
作品の制作には莫大な予算が不可欠です。特に映画やアニメやドラマは大変で、個人では手に負えない事が殆どです。
従ってスポンサーが必要ですが、お金を出す人にその作品の価値を説いたところで、財布の紐は緩みませんから、結局のところ投資として持ち掛けるしか無いのです。
いくら儲かりますよ、なんてくすぐりをかける程度なら可愛いものですが、あなたの会社の新商品を登場させますから、と作品の中身にまで介入させますと、これはもう作品なのかCMなのか判らなくなります。
心ある制作者ならば、このあたりの線引きを繊細な意識を持って行い、作品の中身からは分離されるようにして組み込みますが、そうはならないどころか最初からスポンサーの意志込みで制作される事の方が普通と捉えて良いと思います。
先程の料理で言えば、材料と手順と、目的です。
何を作るか、の目的がまずあって、その後に材料そして手順に進むのです。
その作品の純粋な売り上げを目当てならまだしも、感動を使う事で人を操れるのですから、その目的に悪の意思が介入しない理由は無いのです。
後編につづく
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