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原点回帰 〜私は要らない人間だ〜



そう思い込んで生きてきた
ことに
最近になって
改めて
気づく。

無意識にそう思っていると
そちらにひっぱられてしまう。

そう考えると
なんかスッキリ説明できる気さえしてくる。


1 感情を出す過程で


瞑想の中で
過去の感情が出てくる。

ここに来て
急にたくさん

現在の出来事から感じ尽くすと
過去につながる

過去の感情は
自然と出てくる
(もちろん出てこない時もある)


その時がある

んだ

と思う。


詳細を省くが
(時が来たら書こう)

それまで
言語化できなかった

「私は要らない人間だ」に気づくための
感情に出会う。

出来事自体は
はっきりしないことも多い

けど

感情は記憶として体に残るんだろう。


参考までに
過去の似たような体験について
リンクを貼る 



2 YES!

以前こんなことを書いた。 


どんな人にもYESと言おう。

あるいは 


それは
なぜかが
今回はっきりしたんだ。


つまり
「私は要らない人間だ」と無意識に思っていたから!

その無意識と戦ってきた!

とも言えるんじゃないかな。


3 人間の行動原理

私はその昔
と言っても
15年くらい前だったろうか
現在45歳なので
30歳くらいに一つの人間の行動原理を
見つけた。

それは
人の行動は
順接と逆接しかない。

順接と逆接とは
接続詞に対する分類を
簡単に切り分けて
人間の行動に応用したもの。


つまり
過去を肯定するために
過去にされたことをする。

あるいは
過去を否定するために
過去されたことと反対のことをする。

例えば
いじめられて嫌な思いをした人がいる。

それに対して
私はこれだけ苦しんだんだ!
と思ったら
相手にもする。

逆に
もうこんな思いを人にさせたくない!
と思ったら
逆に
いじめはしないように心がける。

そんな
ごくごくシンプル発想。

だいたい
これで説明し尽くせる。

けど
そうではない
第3の道もあるように感じている。


4 第3の道

それは
NVC(Non Violent Communication)の思想。

つまり
体で感じた感情を起点に
ニーズ(求めているもの)を知り
そこから行動を考える手法
という説明は
自己流が過ぎるだろうか。


特に
人との関係性において
ここの出来事は一緒でも
ニーズは一致することが多い。
そのニーズから出発すれば
共感できることも多いと
NVCは教えてくれる。

自分の生き方でも
ニーズを満たすように生きてもいいんじゃないか?

それって
人生のテーマ
かもしれないから。

順接にせよ
逆接にせよ
二元論

心からの願い
ニーズに
気づかなくても
できること

第3の道は
ニーズ
心からの願いに気づかないとできない。

二元性一原論とも言えるのかもしれない。

退歩のすすめを読んでこんなことも書いた

あるいはこちら



5 自分の人生を生きていい

斎藤一人さんには
たくさんのことを教わった。

言っていることは
小林正観さんとよく似ている。

特に
こちらの音声は
100回は聞いた。 


その
斎藤一人さんの言葉



ずっと
自分にはできない
って思う込んできた。

でも
できた人は
最初からできたわけではない。

メンタルモデルとして
「私には価値がない」タイプの私は
できないことがあると
必死に覚えて適応しようとしてきた。

メンタルモデルについて参考まで


だから
できないことをできるようにするのは
結構力があるはずだ。


そこにとらわれずにやったらいいよ。


6 天我が材を生ず必ず用有り



その上で
上にもあげたこの言葉。

私自身は
今ここで
これだけをやればいいとさえ思う。

一人残らず
どんな人でも
「用」がある。

そこを作り出そう。

できるかなんてそりゃわからない。

でも
やってみよう。


今日もありがとうございました!

ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。