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『天生我材必有用』


今日は私の座右の銘を紹介したい。


天生我材必有用

天我が材を生ず 必ず用有り

天が"私"という材を生んだのだから
誰にでも必ずな役割や意味がある


書に書いていただいた。

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この言葉はひすいこたろうさんの本で知った。

こんな立ち読みページ?もあり驚いた。


当時は挫折後で
涙を流しながら、貪るようにひすいさんの本を読んだ。

この言葉は李白(リハク)の漢詩の一節だ。

高校時代の漢文では李白と杜甫を学ぶ。
天才の李白
努力家の杜甫  という事になっている。

高校の漢文の先生は
「酒を飲みながら漢文書いちゃう李白みたいになりたい」
「杜甫は努力して努力して漢詩を書いている やだねえ」
という趣旨の話をされていたことを思い出す。


ひすいさんは、その通り一遍の見方に疑問を投げかける。

李白は天才だったけど、こんな意味のことを書いている。

本当は天才と言われ、期待されることが怖かったでのではないか。

この言葉を書くことで、

自分を奮い立たせていたのではないかと。


どんな人にも悩みはある。

私は、
この言葉に出会った頃
自分の無価値観にさいなまれていた。
生きている意味も価値もないのではないだろうか・・・


人は生まれる。

英語なら be born と表現されるように、
主体的なのでもはない。受け身なのだ。

天が私という材を生んだ のだ。

であるならば、
どんな人にも「用」がある。
「用いられる」とも訳す。(これも受け身か。)

私は、
「用」は、役割とか意味と訳したい。

役割や意味があると信じたい。

何年か前に、介護職員が働く介護施設の人々を殺した事件があった。
曰く、いらない人を殺してもいい という趣旨の言葉だった。

私だけでなく、
この殺人犯だけでもなく、
案外、多くの人が無価値観に苦しんでいることを
ここ数年でよくよく知った。

何もできなくてもいい。
何かをなさなくてもいい。
金を稼げなくてもいい。

生きているだけでも「用」があるのだ。


私は

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で生きよう。



この言葉の後に続く言葉がまた驚く。

千金散尽还复来

金などはいくら使ってもまた戻ってくる


言うねえ 李白!
でも、それは弱さの裏返しだよね。

李白の
強気の奥の弱さを鼓舞する心意気が伝わる。


まずは今日一日

キョウヨウ(今日用)のある1日に。


ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。