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多様な地球

 龍神の足元の混沌のナガレの中を立ちながら、印象的な旅人が数人存在したー。この経験は陽気だが見えない財産だ。

 ある風の強い日には、薄いジーンズに蛍光アウトドアパーカーにテンガロンハット。ウエスタンブーツで髭が渋い初老の男。
 ある雨が降ったり止んだりの日には、タクシーから降りてきたロシア語の一団のイカつい男に囲まれて降りてきた神父がいた。真っ黒な正教会宗教服にゴツいシルバー十字で眼差しが自信に溢れているのが不思議であった。
 ある晴れの日には、チャイナ服の男が向かってきた。私のボロボロ一丁羅半纏を撫でてきた。通訳が即有名な気功の先生だと、忖度っぽく笑ってる。
 ある曇りの日には、一直線に謳うような訛りイタリア語が来て囲まれた。日本人に真似は無理だと思わさた。髪の毛とコートの色とゴールドのアクセサリーじゃら巻きが輝き、しわさえも色っぽかった。
 ある日は人の数が増えて眼が疲れていた。無口で物静かなインディアンの骨格と雰囲気を初めてみて目がとまってしまった。お洒落が大好きな私は、ターコイズやホピ族のアクセサリーやバンダナ、家具が家には沢山ある。
 ある日は音も少なく風もない。歩いてくる上海女は独自の色気があって、数メール先から歩いていても、纏う空気の香りは甘い柑橘のようでエモい。世界で一番美しいのは、上海女かもしれない。

 均一化される人間より、クセがある方が楽しい。同じような服装、同じような価値観、これは前時代の亡霊かもしれない。多極化へのナガレは止められない。ナショナルな自然光の中の交流の方が風通しがよいと思っている。

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