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【特別公開】≪現代文学の構造分析 2≫ 『ジジきみと歩いた』(宮下恵茉)は神話のように美しい

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編。タイトルは『現代文学の構造分析2 『ジジきみと歩いた』(宮下恵茉)は神話のように美しい』。前回に引き続き、"「私」物語化計画"に参加している作家さんの作品を取り上げた講義である。今回は、宮下恵茉さんの小説『ジジきみと歩いた』が選ばれている。

宮下恵茉さんの略歴は次の通り。

日本の児童文学作家、大阪府生まれ。梅花女子大学卒業。2007年の『ジジ きみと歩いた』で小川未明文学賞大賞、児童文芸新人賞を受賞。梅花女子大学准教授。
引用:ウィキペディア

Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。まずは、これををチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。

わたしの感想

前回と同様、宮下恵茉さんの小説『ジジきみと歩いた』の内容には触れない。今回は「児童文学」について、軽く掘り下げてみる。

「児童文学」をざっくりと説明すれば、子どものために書かれた本になる。決して、子どもだけのために、というわけではない。かつては誰もが子どもであった。ある対象に書かれた本であっても、ジャンルやカテゴリーを突き抜けた作品はすべての人々の心に残る。

そんな当たり前のことを前置きにして、個人的に刺さった「児童文学」をいくつか並べてみる。思いついた順なので、順序に優劣はない。どの作品も好きだし、どの小説も本棚に置いてある。

モーリス・ドリュオン「みどりのゆび」

小学生ぐらいで初めて読んだときと、大人になってからの印象が微妙に異なる物語だ。たぶん、小学生ぐらいなら主人公のチトに、大人になってからは周囲の大人に、自分の立場を置いてしまうからだと思う。時々、読み返しては、自分にとって「みどりのゆび」とは?なんてことを考えたりする。

小川未明「金の輪」

ものすごく短いお話。一切のムダがない。かといって、日本古来からの情緒とかそんなものが根底に流れていて、最後の一文で一気に、ここではないどこかへ放り出されてしまう。日本の児童文学アンソロジーには欠かせない作品だと思う。

ミヒャエル・エンデ「モモ」

初めてこれを読んだとき、すでに子どもではなかった。それをものすごく後悔したことを覚えている。すべての子どもに読ませたい一冊だ。いやいや、これは読まなきゃダメでしょ。読んでない人生は、あまりにももったいなすぎる。個人的には単行本の装丁が好き。

わたなべ しげお「もりのへなそうる」

渡辺茂男さんは「エルマーのぼうけん」シリーズの翻訳者でもある。イラストは「ぐりとぐら」「いやいやえん」などの山脇百合子さん。物語の内容はものすごくシンプル。でも、読み終わった後に、はちみつをたっぷり塗ったイチゴのサンドイッチを食べたくなる。「たがも」とか「しょっぴる」を口にしたくなる。こういうの重要だよね。

サンテグジュペリ「星の王子さま」

言うまでもなく超名作。2005年に翻訳権が切れたので、それこそ日本の出版社すべてから翻訳されたんじゃないかというぐらいに本が出版された。それでも、最初に読んだ岩波書店版(訳:内藤濯)がしっくりくる。手持ちは、ほぼ新書サイズの箱入りハードカバー。もう読み返しすぎてボロボロだ。

フィリッパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」

時間をテーマにしたものにはめっぽう弱い。「時をかける少女」「夏の扉」などなど。どうしても採点が甘くなる。これ、初めて読んだとき、途中までが退屈でたまらなかった。でも、読み終わったら、他の小説では味わえない、何とも言えない不思議な感覚に襲われた。淡々としているところが逆にいいんだよね。

そんな感じで、5冊を挙げてみた。どれもが名前の知られた「児童文学」だ。まあ、図書館に置いてあったり、小学生時代のそれほど伸ばしていないアンテナの網にかかったものであったりするので、どうしてもベタな選択になっちゃう。

この5冊以外にもいろいろな本とお友だちになった。さまざまな時代を超えて、さまざまな人に読みつがれてきた「児童文学」には、小難しい理屈抜きにヒトの心を捕まえる宝石みたいなものがあるのだと思う。そんな本、すべてが自分にとっての宝物だ。


Text:Atsushi Yoshikawa

(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。

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