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【短編小説シリーズ】セラセラハウス プロローグ:引っ越し

プロローグ
引っ越し

駅からまっすぐ4分ほど歩いて、右に曲がって4分ほど歩くと、承和色(そがいろ)の3階建てのマンションが現れる。路地から見える3階の角部屋の窓は、今日もオレンジ色の光を発している。この暗い地球の街角に光る四角のお月様のように。18時32分。帰宅時間が早いのか、在宅勤務が続いているのか、毎日この時間その窓はオレンジ色に染まっている。301号室。当然のことながら誰が住んでいるかは分からないけど、遠くから見えるその光に、「あ、うちに着いた」と思う住民も結構いるらしい。

セラセラハウス。築32年の鉄筋コンクリートの3階建てに、各フロアには8部屋が入っているから、全部で24人が住んでいる。一人暮らし用のマンションだから。あ、そうだ、今は304号室が空いているから、23人か。いや、私が住んでいるというか、ちょっと滑り込んで泊っているので24人だけれども。私は世間の言葉で言うと「お化け」なので、24人と数えるのが正しいかよく分からない。

いやいや、怖い話ではない。私、誰にも被害を与えたりしないから。ご安心ください。

ちなみに、セラセラハウスはペット禁止(鳥やハムスターも)、楽器禁止、2人以上の住居禁止という「三禁」物件だそう。どこか南米の建物を思い出させる承和色のタイルはもっと自由なイメージだけど。とにかく、どの街角にもありそうなありふれたマンションだけど、「おうち」というものがそうであるように、住んでいる人にはこの世に一つしかない帰る場所なのだ。どんなに酔っ払っても身体の中に刻まれている帰巣本能が導いてくれる帰る場所。住んでいる間は。

私が304号に来たのは一週間前の11月29日だった。その前日に304号室の住民(大学生の男の子が実家に帰った)が引っ越ししたから空いていると、近所のお婆さんが教えてくれたのだ。それを聞いて、私はここに移動することにした。人間界の言葉ではお引っ越しね。お化けなので、すっと飛んで身体だけ移動すればいいから楽と言えば楽だけど。

ひえー!と、お化けなら家じゃなくて森や道や外のどこにいてもいいじゃん!と思っているそこのあなた、ちょっと聞いてほしい。お化けにもルールがあるのだ。

人の中には、霊を感じたり、見たりする人がいる。つまり、私たちのことね。個人差はあるけど、動物や木々は当然私たちの存在を感じる。万物が静けさの中にある夜には特に。

ほら、考えてみよう。真夜中都心の公園に大勢集まっているお化けたちを。それを通り過ぎる人や警官が見たとしよう。ああ、お化けの目にも恐ろしい。だから、お化けの私たちもできる限り人の目に見つからないように、音を出さないように、存在を感じさせないように、気を使って生きている。生きているという表現はちょっと変かな。こう変えようか。時間を過ごしていると。特に夜は(できれば昼間もだけど)身を隠せる場所が必要となる。人には居場所が必要であるように。お化けにも居場所が必要なのだ。

もちろん、お化けのみんながこのような方法を選択するわけではないけど、私が生まれた(=この世に残された)この街ではそれがお化け組合のルールだったから、私もできれば守るようにしているだけ。

しかし、人が住んでいる家にいるとまずいことになるから、こうやってお化け同士で空いている物件情報を交換して、移動し続けている。都心の物件は早く埋まってしまうから、短いと一週間、平均3週間位しか同じ場所に住めない。大家には悪いけど、私たちには運よく、3か月位住める物件もたまにはあるけれど。荷物がないお化けとは言え、なかなかお化けも大変なのだ。何より、目には見えないとは言え、お化けがいることで大家や住民に迷惑をかけてはいけないから、なかなか気を緩むことができない。

今回の新居、セラセラハウスの304号室にはどれくらいいられるのだろう。ちょうど先ほどクリーニングが終わったお部屋に帰ってきて、窓の外を見ながらそんなことを思っていた。「ただいま」と言っても、この時空間ではお化けの声なんて響くことすらない。

マンションの前に目隠し用に植えている木々がひゅーひゅーうら寂しい音を立てている。もう12月に入っているのだった。お化けになってもうすぐ7年。79回目の引っ越し。この生活はいつまで続くのだろう。ベランダの窓ガラスに、もう歳をとらない年齢不詳の女性が映っている。名前を失くして、ゆいと呼ばれている自分の顔が。

私はなぜこの世に残っているのか、自分もそれが分からない。死ぬ時に記憶が消されてしまったから。何かの執念や心残りがあってこの世に残っているお化けもいるけど、私は、つまり、記憶喪失になったお化けなのだ。友達のお婆さんは、いつかは分かるようになるから焦らないでと言うけど、なぜ一人でこの世に残っているのか、風が冷たいこんな夜はつい考えてしまう。永遠に繰り返してしまいそうで、怖い。

ああ、ダメだ。こんな夜じゃ。今夜はセラセラハウスの住民たちが夜風に驚かないように、ちょっと力を発揮して風を和らげようかな。住民たちが気付かないように、こっそりね。


―またね!―

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