ウィーンへ行きました。⑧

センチメンタル・ジャーニー

 ステイ三日目は、ザルツブルグまで行く「サウンド・オブ・ザ・ミュージック・ツアー」に参加した。もちろん、美樹に引き摺られてのことだった。
「寒いよ」「疲れるよ」
と腰が引けるわたしと綾乃を、美樹は
「面白いって。ほら、だまされたと思って行こう」
と説き伏せ、観光バスに押し込んだ。
 『サウンド・オブ・ザ・ミュージック』は一九六五年に公開されたジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画で、数々の名曲を産んだ。舞台は、ザルツブルグ。修道女見習いのマリアが、トラップ大佐の七人の子供の家庭教師として派遣され、やもめのトラップ大佐と恋に落ちる。最後のシーンでは、音楽祭に出場し歌を披露したあと、ナチスの追跡を逃れ、一家でスイスへ逃れる、という話だ。
 バスは高速を降りると、オーストリアの長閑な山道を通り抜けて行く。道路脇の草木が朝露に濡れ、光を浴びて眩しい。
最初の停車スポットは、マリアが見習いとして身を置いた修道院だ。到着した時、その小さくて素朴な教会は午前の陽を浴び黄金色に輝いていた。神々しいとはこういうことをいうのか、と知る。
「考えてみると、マリアの結婚式の入場曲は『マリアは困りん坊、どうしたらいいの』っていう歌詞やん。そんな歌を使うなんてシスター達は気が利かないと思わへん?」
という美樹に大笑いし、
「どんな曲だっけ」
 と三人で思い出そうとしていたら、次から次へと映画の曲とその場面が蘇ってきた。ついには三人して『ドレミの歌』や『エーデルワイス』を口ずさみ、すっかり気分が盛り上がっていた。 三人ではしゃぎながらも、頭の中では、いつもと違う「家族の光景」が呼び起こされていた。

 初めてこの映画を見たのは、デュッセルドルフにいたときのことだ。子どもの頃、夜はテレビを観させて貰えなかったのだが、両親に「これは名画だから」と許されて、兄も一緒に、家族揃ってテレビを囲んで観た。父は母の肩に腕を回し、兄も笑い声を上げながら映画を楽しんでいた。あんな団らんのひと時もあったのだ。
 バスは次々と映画のロケ地を訪れる。オープニングで、マリアが「サウンド・オブ・ザ・ミュージック」を歌い上げた丘では、三人してマリアに成りきって歌い、マリアとトラップ大佐が逢瀬したグラス・ハウスでは、それぞれ自分の愛の行方を憂った。
 見渡せば、雪を被った険しい山々と、東欧と西欧が交差した建築様式の尖塔達。ウィーンとはまた違う景色が続く。
「今、わたしは旅をしている」
 と感じた。そして、この「旅」を楽しんでいる自分に少し驚いていた。時空を旅して、行き詰まっている「今」から少し解放されたのかもしれない。

 午後は自由行動となり、三人でザルツブルグ市内を散策した。いつの間にか夕暮れが押し迫る時間となっていた。空気は澄み、オレンジ色の黄昏と蒼い夜空がカクテルのように層を成している。
 冷えたから熱いお茶でも飲もう、と角に見えるコーヒーショップに向かって石畳の道を歩き出した。

 その時である。
 街中の教会の鐘が鳴りだした。
 時計の針が六時を指したのだろう。まるで多重演奏のように四方から鐘の音がする。三人は道の真ん中に立ち止まり、鐘の音がどこから鳴っているのか、と耳を澄ますが、教会が多過ぎてわからない。それぞれに違う方向に顔を向ける。がらん、がらん、と鐘は鳴り響く。そのうち、その音叉のような音色が頭の中に広がり、満ちていった。先ほどまでの憂いごとも、昨日までの哀しみも、未来への不安も、鐘の音色に追い出される。しばらく、時が止まっているように感じられた。
 ようやく、鐘のエコーが静まった。日はすっかり落ち、街は群青色の夜空に包まれていた。東の空に細い三日月と金星が小さく輝いている。
「除夜の鐘みたいやったね」
 と美樹がつぶやいた。

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