サンタモニカに行きました。⑧

海風、浜風、向かい風

 夕方は、日課のように浩美達と海岸へ犬の散歩に行った。夕凪が訪れる気配はなく海風が強かった。遠くの海にはサーファー達の姿もちらほら見える。子ども達が凧を持って走り出すと愛犬ジェフも嬉しそうにしっぽを振ってついて行った。髪を手で押さえながら、その様子を目で追うと、
「かおり、何かすっきりした顔してるぅ!」
と浩美は声を上げて話しかける。
「ゆっくりさせて貰っているからよ」
と答えたが、風が強く、声がかき消されてしまう。浩美が耳に手を当て、聞こえない、とジェスチャーするので、
「ーーあのねえ、諦めたの! もう奈津子のことをわかろうとするの、諦めたっ」
声を張り上げてそう言った。ドラマでもないのに、まるで海に宣言しているような形になってしまった。二人で笑いながら風よけがあるところに歩いて行く。
 自分なら奈津子の気持ちがわかる、と思っていた。一緒にこの二十年余りを歩んできた同志だ。特に、転籍の話があってからは、奈津子の絶望が理解できるような気がしたのだ。
 惨めだった。恥ずかしかった。ずっと誇りをもって乗務してきたが、その誇りを踏みにじられたような気がした。航空不況ということは知っている。一時帰休も、給与カットも受け容れてきた。だがその果てに、こんな結末が待っているとは思っていなかった。
 奈津子も、似た思いだったのではないか。奈津子なりに思い悩みながら仕事をしてきた。それなのに、会社からは「引き際も大切だぞ」と圧力をかけられる。ロボットのようにマニュアルに添って動くだけの、要領のよい若いCA達の方が重宝される。
 それでも道は続く。奈津子は、もう仕事にうんざりしていると言っていた。でも続けなくてはいけない、他に行き場がないのだから。つらい、しんどい、疲れたーー。
 ずっと自分と奈津子をシンクロさせて考えていた。きっと奈津子もそう思ったんだ。わたしにはわかる、と。
 だが、死にたい、という気持ちと、実際に死ぬという行為の間には大きな隔たりがある。そこに横たわるのは、やはり尋常ではない精神状態なのだと思う。理解などできない。理解しようとしたら、こちらも尋常ではない状態に自分をもっていかなくてはならない。わたしは、そこへ、行きたくない。
「嫌なことだらけだけど、それでもまだ、ここにいたい、って思うのよ」
ここにいたい。そう言ったとき、一瞬空気が止まった。まだ、ここにいたい。
 その時だ。
「オーノー!」
「ああぁ!」
という子ども達の嘆き声が聞こえた。見ると、凧が落下し砂浜に突き刺さっている。先ほどから、中々揚がらずに苦労している様子を眺めていた。
「風に向かって走って行かないと」
「Why?」と問う子ども達に説明する。
「飛ぶときっていうのは、揚力が必要なの。向かい風が凧を高いところに持ち上げてくれるのよ。風向きは」
ハンカチをポケットから取りだし風に晒す。
「…・・・まだ海から吹いているみたいだね、じゃ、海に向かって走って」
子ども達は、早速体制を整える。
「位置について、よーい、どん!」
という合図で、二人は走り出す。
「今よ、凧を上向きにして、はい、手を離して!」
凧は、グングン揚がる。「ワオ!」と嬌声上げて喜ぶ子ども達の足元でジェフもしっぽを振って喜んでいる。
「さすが飛行機乗りねぇ」
と浩美は感心する。わたしも爽快だった。凧は空高く舞っている。
「そうなの、向かい風も大切なの」
と独り言のように呟いた。

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