サンタモニカへ行きました。⑤

時は流れて

 思いに耽っているうちに、少しうたた寝してしまったようだ。気づくと浩美の家に着いていた。
 車から降りると、ちょうどその時、浩美の息子達が、自転車で家の前のドライブ・ウェイに入ってきたところだった。マウンテンバイクをガシャンと地面に倒して停め、ヘルメットを脱ぎながらやって来た二人は、ティーンエイジャーと呼ぶ、少し手前くらいだろうか。長男君は、顔はまだあどけない子どもなのだが、背丈だけは浩美より高い。次男君は、笑うと歯の矯正器具が覗く。二人とも額に汗を浮かべていて、何か眩しく感じた。
 浩美の家は、天窓から降り注ぐ午後の陽で満ちていた。コーヒーを挟んで、浩美はわたしの近況を尋ねた。母親のことは「歳とって大変よ」というだけにして、仕事のことは「うーん、ちょっと悩んでいるけれど」と応えるに留めておいた。まだ気持ちの整理が着いておらず、言葉が出てこない。それなのに浩美は、
「うん、うん、わかるわかる。うちも一緒よ」
と合いの手を入れ、自然に話を引き取ってくれる。そんな二人の呼吸が昔と変わらなくて懐かしい。
 奈津子が亡くなったあと、周りの言葉に心底うんざりさせられた。「はた迷惑な死に方」と言ったのは「鬼」と呼ばれている口が悪いCAだ。同期にあたる西口課長は、「課員にこういう事があると、オレにとばっちりがくるんだよ」と保身に憂っていた。「藤野さんって、あの厚化粧のオバサン?」という後輩の声も聞こえた。かおりが、奈津子と仲がよかったことを知る人は、「ねぇ、何があったの? 男関係?それとも病気? がりがりだったもんね」と探りを入れてきた。
 いや、こういう声があるだけよかったのかもしれない。人々の無関心さには骨から涙が出るかと思った。一週間も経たないうちに奈津子のことは人の口に上ることすらなくなった。何かの拍子でそういう話に及ぶと、「そういえば、藤野奈津子さん、亡くなったんだってね」「あ、それ、聞いた気がする」と、それだけで終わった。「どうして亡くなったかしら」と考えることすらせず、皆、奈津子の死の横を通り過ぎていった。同僚の死にすら足を留めることをしない人達。これが時代の流れだとしたら、わたしは無理。ついて行けない、と足がすくむ思いだった。気づくと、人と接するときはガードを固くしている自分がいた。
 だが、今、目の前にいる浩美は違う。いかにも穏やかな柔和な浩美だが、その実は揺るがない良心を持つ。昔から、浩美とは安心して、考えていること、感じたことを話せた。思えば、奈津子に対しては「これは話してもわかって貰えないだろう」「こんなこと話すと自慢だと勘違いされるかも」などと、話すことを分別していたところがある。奈津子のことが好きだということには変わりない。ただ、奈津子には壊れやすいものを感じていた。
「また会えてうれしい」
と言うと、
「ふふ、来てくれてありがと」
と浩美は優しく微笑んだ。
 忘れないうちに、とお茶や和菓子、そして子ども向けの、日本の文房具やスナック菓子といったおみやげを渡すと、子ども達がやってきて、すごい勢いで包みをむしり取った。どんな包装紙も丁寧に開いては、畳んで押し入れにしまう母親と暮らすかおりには、その豪快さが気持ちよい。
 子ども達は浩美に促されると、
「カオリ、アリガト!」
と二人同時にかおりの頬にキスをした。
 びっくりした。若い二人の少し汗ばんだ肌は太陽の匂いがした。この子たちは今、盛んに生きている、そんなことを思いながら二人を抱き返した。
 
 夕方は、浩美の愛犬ジェフの散歩に付き合い、サンタモニカ・ビーチへ行った。引き潮なのだろう、砂浜が遠くまで広がり、濡れた砂が夕陽を受けてキラキラ光っていた。
「奈津子と一緒に来たかったな」
と呟く。奈津子の死について、浩美にはメールで知らせていたが、浩美は、何が起きたのか知りたがった。
「私もわからないの。何で奈津子が死んだのか、どんなに考えても分からない」
 奈津子と最後に会ったのは、亡くなる一ヶ月前、ようやく残暑が引いて、朝夕は秋の気配が感じられるようになった頃だった。奈津子が選んだ神楽坂にあるフレンチレストランで落ち合った。
 奈津子は過失事件のあと、しばらく謹慎処分となっていたが、再訓練を受け、少し前から乗務に復帰していた。相変わらずほっそりしていたが、血色はよく、思い悩んでいる雰囲気はなかった。手首に包帯を巻いていたが、「ファースト・クラスのお皿、重くなったでしょ。ちょっと腱鞘炎気味なの」と参った顔で笑った。今思えば、包帯は利き手ではなく、左腕に巻かれていた。あの時は気づかなかったことが悔やまれる。
「そのときね、『調子どう?』って聞いたら『元気よう。ーーでも最近、なんか寂しくってね』って、珍しくしんみりしてたの。その時は、秋だねぇ、なんて笑い合ったんだけど。そうしていたらそのすぐ後、亡くなってしまって」
目頭が熱くなってくるのを感じた。
「奈っちゃん、昔っからさみしがり屋だったものね。新入の頃にフライトで一緒になったことがあったの。そしたら奈っちゃん、ステイ先のホテルでさ、夜中に、『一人で眠るの嫌だから一緒に寝てもいい?』って枕抱えて部屋に来たの。『やだ、子こどみたい』って笑ったんだけど、奈っちゃん、目が真剣でね。暗闇を恐れる子どもみたいだった。それでかわいそうになってベッドに枕並べて寝たことあるの。これじゃ、この仕事続かないだろうなぁ、って思っていたら長いこと頑張っちゃってね。頑張りすぎなのよね」
 そういう浩美も目が潤んでいた。

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