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【2】42歳 くも膜下出血 それはテレビドラマのような電話ではじまった

ジャガイモが手から落ちた瞬間

42歳になったばかりの1月19日、クマちゃんがくも膜下出血で倒れました。

クマちゃんの会社から電話がかかってきたのは、夕方6時頃。カレーでも作ろうと、ちょうどジャガイモの皮をむいているときでした。
「ご主人が会社で倒れました」
こんなドラマのようなセリフを、まさか自分が聞くことになるとは……。

持っていたジャガイモが手からゴロンと落ちた瞬間、ふと我に返った気がします。
「これは現実なんだ。倒れたってことはもう生きていないということなのか、まだ息はあるのか、どんな状況で倒れたのか、私は間に合うのか……」
頭の中をさまざまな思いが駆け巡りました。

「いま救急車で運ばれたところですから、病院が決まったらまた連絡を入れます」
妙に淡々と話す人だなと思いながら、現段階で自分がやるべきことは何なのか、頭をフル回転させていたのを覚えています。

あんたが泣いてたらアカン!

会社の人からの電話を待つ間、とりあえず新潟と九州の両親に電話で報告しました。原因はまだ分からないが会社で倒れて病院に搬送されていること。病院が決まったら連絡を入れること。

冷静になろうとしても途中から泣き声になってしまう。まるで子供の様に嗚咽する私に、義母が喝を入れてくれました。
「アッコさん、あんたが泣いてたらアカン! しっかりしなさい」

その夜はどうなるか分からなかったので、まずは子ども達にご飯を食べさせ、小3の長女にだけ、父親が倒れたことを伝えました。

すぐに出られるよう支度を整え、それから何時間経ったでしょう。
やっと会社から連絡が入りました。今度は会社の上司。一緒に救急車に乗ってくださった方のようです。

「会社の近くの病院に運ばれたんですが、CTを撮ったところ、どうやらくも膜下出血のようです。これから印旛村の日医大に行きますので、奥さんはそちらに直接向かってください」

くも膜下出血?
聞いたことのある病名でしたが、詳しいことは分かりません。
いずれにしろクマちゃんの頭の中で出血があったのは確かです。印旛村の日医大をすぐに調べて、私は子ども達二人を、友人の家に預けに行きました。

この日は関東にしては珍しく大雪。すでに5cmほど積もっていましたが、印旛村はもっと積もっているに違いない。もしかしたらこの子達は父親の死に目に会えないかもしれないと思いながらも、いつ帰られるか分からない状態で連れて行くわけにはいきません。

「今日は○○ちゃんちでお泊りするの?」
思いがけないお泊りにはしゃいでいる5歳の息子が不憫でなりません。
電車で一人になったら急に涙が出てきて止めることができませんでした。

クマちゃんに何が起こったのか

病院に着くと、救急車で付き添ってくれたクマちゃんの上司が出迎えてくれました。

「センター試験の説明をしているとき、生徒の前で急に倒れたんです。
救急車で運ばれるまでは意識があって、しきりに頭が痛いと言っていました」

クマちゃんは予備校の社員で、その日は大学入試センター試験前日でした。思えば、多くの人がいるときに倒れてよかったのかもしれません。
仕事帰りの道、降り積もる雪の中で倒れていても誰も気づかなかったかもしれない。
死に目に会えるだけでも良かったのかも……。
そんなことを考えながら、上司の話を聞いていました。

眠れない夜

運ばれた病院では、執刀医となる先生が手術中ということで、詳しい説明を受けるまで、しばらくの間待つことになりました。

部屋には、もう一人中年の男性がいて、奥さんの入院について看護師から説明を受けているところでした。何の気なしに聞いていると、「私は仕事でほとんど面会に来ることができません。全てお任せします」とのこと。
その口調があまりに冷たく、「この人は、奥さんを愛していないのかしら?むしろ倒れたことを迷惑がっているのでは?」などと、他人事ながら、いま手術を受けているであろう、その人の奥さんが心配になったのを覚えています。

「ご主人が身に着けていたものをお渡ししておきますね」
しばらくすると、クマちゃんがその日着ていたスーツと靴、そして腕時計が入った袋を持って看護師さんがやってきました。

このまま生きて会えなかったらどうしよう……。

クマちゃんの抜け殻を受け取った気がして、また涙があふれてきました。

後で知ったのですが、その病院は脳外科では有名な先生がいるとのこと。
その脳外科手術の権威が翌日手術をしてくれることになり、説明を受けた私は、家族控室で一晩を過ごすことに。

布団に入っても眠れるわけがありません。

脳で出血が起きているのに、なぜすぐに手術してくれないんだろう。
明日の手術で手遅れになることはないんだろうか。

クマちゃんの腕時計を握りしめたまま眠れない夜を過ごし、不安な気持ちのまま朝を迎えました。

手術は8時間、入院は53日間

クマちゃんの手術が行われたのは翌日。それは頭蓋骨に穴を開け、脳動脈瘤をクリップで挟むというものでした。

「本当にこれが最期かも」
同意書にサインをして、手術室に向かうクマちゃんを見送りながら、覚悟を決めたのを覚えています。

朝早くに新潟から両親が到着、昼過ぎには九州の義父母も来てくれて、緊張が少しほぐれました。

手術は思ったより長く、すべての処置が終わって手術室の扉があいたのは、なんと8時間後!

その後、集中治療室で、やっと意識があるクマちゃんと会うことができました。

「俺、くも膜下出血になっちゃった」
意外にも本人の口から最初に出た言葉がこれでした。

生きて会えてよかった!

この日から53日間。クマちゃんの入院生活が始まりました。



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