最終回が1番面白くないといけないのか?
普段ドラマを見る機会はあまりないのだが、時々突発的な出会いを果たしある作品にハマることがある。リアルタイムで観れなくても今の時代は見逃し配信とやらがあるため問題ない。ましてや、社会人しかもリモートワークメインの私にとって、放送日の次の日に仲間内でドラマの感想を言い合ったりといった取り残されイベントも発生しないため、あえて見逃し配信で観ることも多々ある。これのおかげで心の準備も整った状態でドラマを見ることができる。
好きな作品に出会い、作品を追っていくと次第に最終回が気になり始める。ここでいう気になるは、最終回の内容というよりかは、どのタイミングで最終回が訪れるのかについてだ。年間、人生を通してドラマにあまりハマらない私にとって、好きなドラマとの出会いは貴重な時間である。最終回の知らせを聞くと、妙に物悲しくなる。もちろん、最終回が楽しみではないわけではない。早く見たい気持ちにもなる。
そんなこんなで最終回。
意外とあっさりとした結末を迎えるとこんなことを思うことはないか?「最終回はイマイチだな」「もっと感動的な終わりが良かったな」「結末がビミョーだな」など。贔屓にしているドラマであれば尚更であろう。
しかし、ここで1つ疑問に思うことがある。「最終回が1番面白いと決めつけたのは誰だ」ということである。1話から10話までのドラマであれば、全部ひっくるめてひとつの作品である。最終回だけを切り離して考えるのはナンセンスなのではないか。ドラマというものは総合得点で評価されるものであり、最終回だけを単独で評価するものではない。1話から9話までが最高に面白いのであれば、最終回が期待していたものとかけ離れていてもそのドラマは評価の高い作品だと言える。
ただ人間というものは総合評価に疎いらしく、どうしたって直前のものを評価したがる。「今まで食べたハンバークの中で1番美味しい」に始まり、過去に支持されていた人がひとつの過ちで軽蔑されることなど。単純な話、「終わりよければすべてよし」なのだ。
以上のことから私は明日から後ろめたい、または悪い報告をするときは、先にその話をしてしまい、その後に良い報告をするようにする。そうすれば良い報告が私の評価となる。
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