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(2)査読論文が複数必要で、査読付ではない論文もそれ以上に必要な理由。

なぜ、査読付きの論文が重視されるのかと言いますと、そういった論文を書いたという事実は、研究能力があることの客観的な証明になるからです。

査読論文というのは、レフリー制度の整った学会誌に掲載された論文のことを指します。査読(掲載に値するかどうかの審査のことです)プロセスを経て掲載に至るというのは、なかなか難しいことです。
査読を経て掲載されるためには、論理構成がしっかりしていて、自分の「主張」が根拠に基づいて記述されていることが必要です。
「根拠に基づく」というのは「先に同じような研究(先行研究といいます)がなされていないかどうかを調べるということで、大学院の修士課程で真面目に修士論文の作成に取り組めば身につきます。

例えば、何も指導を受けていない学部卒の人が、学校での実践について頑張って何かしら書いたとします。しかし、その「論文」が学会誌に採択されるのはかなり難しいことでしょう。
これは書いている内容が悪いということではなく、「学術論文」に求められる書き方のルールや視点の置き方が、学校現場で書かれる「論文」とは大きく異なるからです。※どのあたりが大きく異なるのかは、長くなりますのでまた別記事で書きます。

最低限、修士課程で修士論文を書き上げて、さらに査読に耐えうる(学会誌に掲載される)論文を自力で書き上げる力を身に付ければ、大学の教員として採用される可能性が出てきます。

大学教員には、学生の指導ももちろんですが、研究を継続することも求められます。
大学の公募要領には「何本必要です」といったことは明確には書いてありません。これはジャンルによって本数の相場がやや異なるからですが、だからと言って、まったく査読論文のない人が採用されることはありません(退職校長などが就任する特任教授やなどは別です)。

ただ、多くの修士課程では、修士論文を書くための指導はもちろんしてくれますが、学会誌の掲載が修了要件ではない大学が多いので、学会誌に掲載される査読論文を書く力は、在学中に「意識的に」身につける必要があります。
大半の修士課程では、査読論文を書くことは必須ではなく、修士論文さえ書けば、修了することができるからです。修士論文を書くだけでも大変ですので、普通に過ごしていると「修士論文を書いただけ(それだけでもすごいのですが)」で修了します。
指導教官と相談して、修士論文の途中までを査読論文として学会誌に投稿するか、または、完成した修士論文を査読論文として学会誌に投稿するか、どちらかにするとよいでしょう。


ただし、修士論文を投稿する場合、すでに大学院を修了していると思いますので、院生のときと同様の指導を求めることはしにくいと思います。指導教官と良好な関係を築くこと、そして、査読がない論文誌(所属する大学の紀要など)に書く経験も意識的にしていくと良いでしょう。
なお、博士課程では博士論文を書くための「条件」として査読論文を複数本書くことが求められるので、査読を通過するための論文の書き方が嫌でも身につきます(査読を通らないと修了もできないのですから当然ですね……ただし、修了できない、博士を取得できないまま終わる方もいます)。

学会誌に掲載される査読論文を書くためには、大変な時間がかかります。この記事で扱っている教育系ですと、平均して1年に1本くらいです。
この時間のかかり方を見て「何でそんなに時間がかかるのか」と疑問をもたれた方もいると思います。特に学校の先生方はそう思われたのではないでしょうか。
学校の実践論文では、そんなに時間がかかることはありません。実は学校現場の実践論文は「論文」というよりは実質的には「報告」であり、前述のように書き方が大きく異なるからです。

ちょっと気が遠くなった方もいるかもしれませんが、私も3~4年かかりました。
公募の仕事に関わっていますと、実際、査読どころか論文がまったくないのに応募してくる人や、あっても1本といった状態で応募してくる人が意外と多いのです。
これは、事情がよくわかっていないのかもしれませんが、そういった状態で何度挑戦しても、おそらく決まることはないでしょう。
最近は、大学教員になる間口が狭くなっており、激戦であるとよく言われるのですが、とは言え、学校現場では、実践家は多くても、学術的な論文(学校現場の実践論文ではないです)を書いている人は非常に少ない印象です。

大学教員になるという目標をもたれた方は、ぜひ他の記事も参考にしつつ、査読付きの論文を書く努力をしていきましょう。
今後、そのための具体的な方法や考え方についても書いていく予定です。

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