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10年後の為に消毒用ウォッカで梅酒を漬けた

近頃、異様なデザインの酒瓶が酒屋やスーパーの店頭に並んでいるのを目にしないだろうか。
ブランドの顔たるラベルには、使用した素材がどうのとか、味のキレがどうのとか、糖質がどうのなんてキャッチコピーの一切が無く、それどころかイメージイラストの一つもなく、ただアルコール度数と会社名だけが記された薬品のような風貌。

業務用かPBの酒かと思えばその度数は77%であったり65%であったり。
一般的に強烈なアルコール度数で知られ、ストロング系チューハイの原料として使用されるウォッカが40度程度である事を考えればその数字の異常さも分かるだろうか。世の中にはアルコール度数が90%を超えるスピリタス等もあるが、これ程の酒を常飲するような愛好家は日本ではごく少数だろう。

この酒の正体は一体……と勿体ぶるまでもなく、この記事を目にしたのが公開直後なら知っている人も多いだろう。これらは消毒用アルコール不足から産まれた「消毒に使える飲用アルコール」だ。

2020年2月頃から、日本は新型コロナウイルス感染症( COVID-19 )でパニック状態だった。マスクは高額で転売され、何故かティッシュやトイレットペーパーまでなくなりオイルショックの再来とまで囁かれた。

その渦中に消毒用アルコールも巻き込まれた。除菌ウェットティッシュや手指消毒剤の類は瞬く間に店頭から姿を消し、その次は消毒用エタノール、それが無くなれば無水エタノール、それすら無くなればついにはスピリタスまでもが姿を消した。日本中が消毒ヒステリーを起こしていた。

そこで立ち上がったのが各種酒造メーカーだった。

本来消毒用アルコールを製造する場合、薬事法で定める医薬品等の製造許可が必要になるのだが、あくまで飲料できるアルコールとして生産する事で時間のかかる手続きを待たずして販売にこぎつけた。https://news.yahoo.co.jp/articles/a6b6595c0a3e98f0718653747fc000d0697e4116
菊水酒造の「アルコール77%」を筆頭に、他社も追随して飲用可能な高濃度アルコールを販売したのだが、そのどれもがラベルに最低限の装飾のみを施した結果「度数と会社名しか書かれていない異様に高度数の酒瓶」が並ぶ事になった。
度数が高すぎて危険物と見なされる為度数の変更を余儀なくされたり、瓶自体が確保出来ない為同一商品なのに大きさがまちまちだったりと各社が四苦八苦する様子もあったが、その前のめりな姿勢はいち早くアルコールの供給を安定させようという酒造メーカーの熱意の現れでもあったと言える。

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私が手にしている「メイリの65%」もその一つだ。ウォッカに分類されるようだが「メイリの65%」が正式な商品名である。最早なんの酒であるかすら記載されていない。
以前はどこの会社の物もHPへのアクセスが殺到して大騒ぎになっていたようだが、コロナ渦が若干の落ち着きを見せ、消毒用ジェル等も供給が安定してきた事でスーパーに並ぶ程には行き渡り始めた。

これらの飲用できる高濃度アルコールは姿を消していくだろう。
何故なら、この酒にとって「飲める」という事も「高濃度」という事も欠点になり得るからだ。

「飲める」という事はすなわち酒税がかかるという事である。特に度数の高いアルコールには高い税率が課されており、これほどの度数だと1000円の商品に300円以上の税金がかかってしまうという。
消毒用アルコールは飲用不可とする事で酒税を免除されている為、それらと比べると「飲める」というだけで割高となってしまう。現に「メイリの65%」の販売元の明利酒類株式会社も、医療品の生産許可を得て「飲用不可」の高濃度アルコールである「メイリの65% 魁YELLOW 」の生産を始めている。(http://www.meirishurui.com/online/category/item/ethanol/)

「飲用」が建前で実質的に消毒液として売られている以上、「飲める」という事がディスアドバンテージと化しているに等しい。

普通に飲用の酒をして売り出すのも難しいだろう。先にも述べたが高度数で知られるウォッカですら40度程度だ。ガブガブ飲めば比喩でもなく命に関わり得る度数の酒を好む人もそう多くはない。酔えさえすればいいという人間にとっては甲種の焼酎が遥かに安い値段で売られている。

薬事法上の手続きなく販売可能な事が一番のメリットだった以上、メーカーが薬事法の手続きを終えてしまえば役目を終えたに等しい。「飲める」事がデメリットなら「飲める」ように作る必要はない。


なんとなく、勿体ないなぁと感じていた。


ある種採算を度外視した「飲める」消毒用アルコールは、一刻も早く国民に消毒液を供給したいという酒造メーカーの思いの産物で、コロナ渦中で自分達が出来る事に尽力した人々がいるという象徴のような酒だ。
それが騒動が落ち着いていくにつれて、流通からも皆の記憶からも消えていく。それがなんだか勿体ないと感じていた。

これを記憶に刻む物として、言わば記念碑のような形で残したい。

だから、私は梅酒を作る事にした。
深い意味がある訳ではない。ただ瓶で買ってほったらかしにしておくのは家の片隅で忘れされているのとそう実態は変わらない。だったら、長く保存する事に意味を持たせたかった。だから年単位で熟成させる梅酒にする事で「おいておく意味」を作った。

更に言うならば「飲める」形で保存して置きたかった。世界の情勢から止む無く「飲める」形で発売された酒だ。「飲める」のが欠点のまま存在し続けるのは可哀想じゃないか。「飲める」酒としてこの世に産まれた以上、その役割を全うしてもらおう。

用意したのは保存用の瓶と梅と氷砂糖。メイリの65%以外は非常にスタンダードだ。
まずは瓶と梅の消毒。使うのはメイリの65%。これから漬けるのに使う酒で消毒というのも妙な話だが、よく考えると普段の梅酒でもホワイトリカーで瓶の消毒をしたりするのでそれと変わらないかもしれない。洗った瓶とアク抜きをした梅を一つ一つアルコールで拭き上げる。

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それから瓶に梅と氷砂糖を詰める。量は目分量だが、瓶に対してはどちらも多めの量だろう。65度の梅酒をストレートで飲む訳がないので、割る前提の味付けにした。保存性の向上の側面もあるが、この度数の梅酒では誤差の範疇だと思う。

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後は注ぐだけだ。この瞬間、メイリの65%は消毒液ではなく酒としての命を受けた。1瓶とちょっと使ったので、だいたい400ml位注いだ。

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念入りに蓋をして完成。無色透明なので別段特徴的な見た目ではない。もし私が死んで、何も知らない人がこれを飲んだら火を吹く事になる。後でラベルを貼っておこう。

これからする事と言えば、定期的に軽く揺すって色の変化を楽しむ位だ。冷暗所に置かなくてはいけないのでそのうち机の下にしまい込まれる。
記念碑はスマホ程便利でしょっちゅう使う物ではない。この梅酒は時折思い出して「あったなぁこんなの」と思い出す程度の存在だ。

でも、思い出せるという事が重要なのだと思う。年に一度になるかもしれないが、それが10年先でも、20年先でも、「あったなぁこんなの」と思い出させる事はスマホのリマインダー機能にも出来ない事だ。(本当は出来るかもしれない)

コロナ渦もすっかり落ち着き、きっと平穏な世の中に生きる10年後の自分が「そういえばあったなぁ」と、この酒を販売する為に尽力した酒造メーカーの人達に思いを馳せるその日まで、この梅酒は熟成を続けていく。


皆が抱く懸念があるとすれば「これっぽっちの梅酒10年足らずで飲み干してしまうのでは」という事だが、これに関しては全く問題がない。
そもそも私は酒が一滴も飲めないので、65度のアルコールなぞ口にした日には即ぶっ倒れるだろう。なくなる訳がないのだ。

「飲める」酒として役割を全うしてもらおうとはなんだったのか。明利酒類株式会社に謝れ。

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