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没個性キャンペーンか

ここ1年で、プロ写真家・プロカメラマンのYouTube参入が爆発的に増えました。大御所と呼ばれる方から自称プロの方まで、多くの方がカメラの前で写真について語っています。ベテランの話はそれだけで重みがあり、ためになります。これまでの経験や失敗談、機材に関する考えなど、メーカーに忖度することなく語れるのがYouTubeのいいところだと思います。本来ならば入場料を支払って聴くような内容を、家にいながらにしてただで聞けるのですから、本当にありがたいことですね。

ただ面白い動画ばかりではありません。いわゆるハウツーもの、上手くなりたければこう撮りましょうとか、脱初心者のための撮り方とか、疑問符が付ような内容も多く見られます。何れも同じようなことを言っていましたが、これだと型にはまった撮り方しか出来ず、いわゆる教科書通りの写真ばかりが出回る、没個性キャンペーンに思えてしまいます。

私は50代ですが、中学高校時代は誰もが平均点で横並びの人間を作るような教育を受けてきました。個性は悪とばかりに、人と違う髪型や服装は制限され、靴の色や髪の長さまで細かく指定されていました。そんな中で個性を出そうとすると、すぐに職員室に呼ばれて説教をされたものです。自由のない中で自分らしさを出そうとする子供と、型にはめようとする大人の戦いのような日々だったことを覚えています。

写真の話に戻すと、10人の写真家が同じ被写体を撮影しても、みな違う撮り方をすると思います。明るく撮る人、暗く撮る人、大きく撮る人、小さく撮る人、それが個性であって、その人の作風になるわけです。構図や露出に正解はありません。撮り手の好みに左右される部分です。この被写体はこう撮らないとダメという決まり事はありませんので、自由な発想で好きなように撮ればいいのです。もちろん、自由な中にもルールはありますので、ルールは守って撮りましょうね。

特に初心者は型にはめてはいけません。基本的なことは教えるにしても、そこから先は自由に撮影させて、疑問に思うことだけを解消してやればいいのです。決められた枠の中で上手に撮影出来ても、写真の面白さに気づくことはないでしょう。誰かが勝手に決めた写真の技術論なんて無視していいんです。写真はもっと自由で楽しいものですよ。

写真の教科書本やハウツー動画はかなりの数がありますが、カメラの操作を覚えるためには良いと思います。取説には記載されないような応用も学べるので、1から操作を学ぶには有用です。ただし、構図や露出に関しては個性が支配する部分ですので、誰かがこうしなさいと言ったから、それが正解とは限りません。自分の好みは他人にわかるはずがありませんので、自らいろいろな方法を試してみて、そこから正解を探し出す以外にないのです。

良い写真は技術的に優れているものではなく、自分らしさが出ているものだと思います。それは一朝一夕に出来ることではなく、撮影を続けていく中で答えを出すしかありません。ヒントは日常生活にも隠れていて、色々なことに興味を持って、これはと思うものはじっくり観察してみる。それが写真とは全く関係のないものでもいいんです。

私が雷を撮り始めた頃、動きの早い稲妻に目を慣らすために、バッティングセンターに通ったことがありました。今にして思えば笑い話ですが、時に遠回りすることも必要で、無駄な時間を過ごしたとは思っていません。そうやって試行錯誤するうちに、何度も失敗して、そのたびに考え、自分なりの答えを出していったのです。自分で考えてあれこれ試して、それを形にしていく。そうやって作品作りに活かしていくのです。誰かがこう言ったからそう撮るでは、逆に個性を潰すことになります。

私の写真が評価されたのは、技術が優れているからではありません。雷や荒れた空に特化して、その作品を昇華した個性の部分だと思います。私より上手な写真を撮る人は、アマチュア写真家の中にも沢山います。ただし、上手なだけではプロとして評価されません。他の誰とも違う写真を継続して撮ることに対して評価が付くのです。コロナ禍でも創作意欲を失わず、常にこんな写真が撮りたいと考えていることが大事です。もちろん、私が言っていることも正解とは限らず、全く違う考えの方がいることも当然のことです。それが個性なんですから。

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