STORAGEのルーツ
こんにちは、ストレージの中畑です。
このnoteでは、YouTubeで質問が非常に多い "古着屋の始め方" や、おすすめの仕入先など、決してYouTubeでは言えない様な発信をしていく予定です。
あとはこれまでにコンサルをした経験などもできる限りの知識を記録するつもりです。※もちろん、この類は有料にしますが…
しかし、その前にもう少し僕やSTORAGEを知って頂こうと思い、この記事を書くことを決めました。
今日はちょうど恒例のサブchを撮る日曜日。
カフェの繁忙時間が漸く過ぎたので、少し長々と書いてみようと思います。
あらためてSTORAGEを知っている方も、そうでない方も。
ここに辿り着いた方、どうぞよろしくお願い致します。
STORAGEはコロナがもたらした "幸運"
STORAGEは結果としてうまくいったのですが、それは当時、世界がコロナだったことも起因していると、今ではそう感じています。
当時、STORAGEを出店すると決めた際、僕は地元の友人をはじめ、業界の友人などからも「狂っている」などと言われていたくらいでした。
なぜ狂っていると言われたかといえば、僕はすでに業績悪化で会社が傾いていたことが原因で、だからこそ僕はといえば一秒たりとも「そうも言ってられない」と言った事態だったのですが。
当時約40年の人生で初めて経験した「緊急事態宣言」。
しかも北海道が先駆けでした。
そう、前例がない。笑
店舗はあの時いきなりの "期限なしの閉店" を余儀なくされたのですが、当時はよく分からないながらも現実を受け止め、実に僕の良いところでも悪いところでもある、この事態にワクワクしていたのを記憶しています。
これはあの孫悟空のような戦闘民族の様な類ではなく、「この異常事態に乗じれるのではないか」と言った、"元々当時の事業が低迷していた僕にとっては、何かをひっくり返す、或いは諦めるチャンス" であると捉えていました。
前述したように前例がないので、まるで何をしていいか分からなかった僕ですが、そういう時は決まって「何もしない」方が良いことを僕は数々のピンチを乗り越えた上で身を持って知っていました。
あの時、緊急事態宣言を施設から告げられ、僕が次にしたことは、おそらくヒマになるであることから、GEOにゲームを買いに行きました。笑
事態が長丁場になることを想像していたので、久しぶりにFFを買い、すぐに詰んだことを昨日のことのように覚えています。
子供の頃大好きだったレベル上げに詰んだのですが、大人になって、さらに今にも潰れそうな僕に、誰かのレベル上げをするのは苦になっていた様でした。笑
そういえばあの時、ゴールデンウィークも緊急事態宣言中だったんです。
楽しく庭でバーベキューをしたことを覚えていて、痛風になったのもあの時が初めてだったはず。
余裕に見えますか?
でも、余裕なんかは全くなかった中、この終末のような世界は久しぶりに僕にとって "非現実的" であったんです。
だからなんです。
現実逃避したくなるほど業績悪化していた僕に、コロナはまさに現実逃避をさせてくれました。
だって、「何をしていいか分からなくなること」なんて、僕の歴史上でも初めてでしたから。
しかし、ウォーキング・デッドやFalloutの様な終末世界の物語を見ていてもわかるように、人間には "生存本能" と言うものがあります。
まさに当時の僕は "来たるその時" を肉を喰らいながら待っていました。笑
ところで「ピンチはチャンス」とは言いますが、あの時確かに「世界のピンチが起きていた」、そう思いませんか?
ぶっちゃけ、あんな世界になったのだから、諦めても良かった気もします。
もっといえば、あの時業績の傾いていた僕は「潰れるにしても仕方なかった」があの時は "筋が通った" はずでした。
詰まるところ、潰れたとしても "恥じ" は軽減されるわけです。
でも、その余裕は「潰れてもいいや」からではなく、ただただ楽しみでした。
僕にはこのコロナが "幸運" となるのかも知れないと、半ば確信していました。
コロナという "異常"
僕が半ば確信していたこと、それはコロナがあそこまでの異常事態になったことです。
まさに世界規模ですから歴史的に見ても何百年に一度あるかないか。
つまり、「何かがこの後にも起こる」というのは間違いなく、あの時絶望の淵を彷徨った世界に、次に待ち受けるものとは。
それは歴史的に見ても、必ず「止まない雨はない」という事実です。
株価や金と同様に、底値で投資ができた時こそ儲かります。
だから僕は、「潰れるのは今ではない」と判断しました。
僕にとってのコロナは、 "異常事態が招いた幸運" だと考えました。
まもなく、この異常事態をなんとかするべく、企業の救済に "持続化給付金200万円" といった、過去に類を見ない救済が始まりました。
言うならば「タダで貰えたお金」です。
だから僕は言うならば「タダで貰えたお金で全額投資ができるように」なりました。
さらには、これまでの借金さえコロナによって借り換えが可能にまでなったのです。
いざ蓋を開けてみたら、やはりこんな追い風もこれまで体験したことがなく、肉を喰らいながら当時の僕は、黙って待っていた甲斐があったのです。
ここからまさに "起死回生" を挑みました。
社長の仕事
このSTORAGEを探したそもそもの理由について、僕は以前の記事でも書いていたように様々な事業を行っています。
その上で、商業施設に事務所兼店舗を構えていたので、ちょうどコロナになった際には緊急事態宣言による商業施設の停止と共に、全ての仕事、事業が敢えなくストップしました。
だからこそ、すぐにでも "仕事のできる場所" が必要になりました。
そこで探したのは "一軒家のような物件" 。
この物件の理由については、今後記事を書くであろう「古着屋の始め方」などでお話しするつもりです。
5月末にやっとの緊急事態宣言が明け、政府の方針や世界の今後の進み方が少しずつ明るみになってからというものの、毎日をがむしゃらに動いたのを覚えています。
営業は再開できましたが、良くも悪くも商業施設ということが災したのか、全くお客さんが来なかったのを覚えています。
実にこの頃に企業への支援や融資などがスタートしたので、僕は営業なんてそっちのけで "金策" に動きました。
ここでもし僕が金策ではなく、売れないのに営業に動いていたら、今はなかったと思っています。
売れない時は、どうしたって売れない。
というのも、全く世界は…特に日本は「変わって行く様子」が見られず、一筋縄で正常化するには気の遠くなる時間を要すであろうということが、容易に想像できました。
況して、僕らのような小売業には支援措置が持続化給付金以外には実質なかったからです。
であるのなら、当時の僕に一番必要なものとは「持続させること」でした。
親が子を守るように、会社を守ることが社長の務めです。
そういえばマスクが取れたのも、昨年の3月13日だったことを、皆さんは覚えていますか?
これらを理由に、今後またどうなるかも分からない僕にとって、同じことをやっていることがそもそものリスクでした。
ここで漸く、STORAGEが誕生します。
あの時だからこそ起きていた "プラスの異常"
そして当時、最も追い風だったこと。
それは、"あり得ない物件があり得ない条件" でたくさん落ちていたことでした。
当時は全く資金がなかったので、自身でペンキや日曜大工で行ったのですが、例えばこのSTORAGEで言えば、「現状回復なし」と言った普段ならおそらく考えられない好条件や、さらに家賃交渉までもが容易でした。
"一軒家のような物件"
これを見ても、最初は「見つけた!」とはなりませんでした。
理由は単純に立地が悪すぎるからです。
この若竹町とは実に小樽でも辺鄙な地なのですが、友人がアドバイスしてくれていたように集客なんて出来るはずは…おそらく常識的にはないんです。
それはわかっていました。
でも、僕には仕事をする場所が欲しかったのと、これは初めて話しますが「一人になってやりたいことをやってみたかった」んです。
これは長くなるので割愛しますが、僕にとって奇しくも初めて自分がやりたかったお店がSTORAGEでした。
当時、平日は事務作業や他の事業のために営業は一切せず、2F部分を事務所や商談の場所としました。
これはYouTubeなどで話したことがありますが、STORAGEは「倉庫」が由来となっており、「倉庫兼店舗」でSTORAGEです。
土日は「家賃くらい自身で好きな商材やお店で作る」と言って意気込んだお店が、それまでの商業施設での店舗の売上を超えるほどになるとは、この時点では予想もせず、それこそ「見つけた!」と思ったのはSTORAGEのオープン日、お客様がオープンを並んで待っていたことと、その日の売上が50万だった、8月7日の当日でした。
STORAGEの今後
この辺が今も出していない答えです。
結果だけを見ると成功したかのように思えるのですが、全くそんなことはないです。
それは今も僕は借金を抱えているし、何より今となっては結局スタッフは愛ちゃんしか残っていないので、僕にはスタッフや雇用は守りきれませんでした。
むしろ失敗続きの結果が借金として残っています。
最初から僕もこんな偉そうなことを言えるわけもなく、これまでの失敗が勉強となったわけですが、それでも未だに選択を誤ったりしています。
それを僕はYouTubeやこのnoteを通じて、少なくとも質問や疑問を僕に投げてくれる方達へ、失敗をしないための道標として、またSTORAGEを以て僕自身も成功を果たし、これから挑戦をする方達へ、何か助力出来るような人間になりたいと思っています。
僕にとって、社長として、会社とたった一人だけを守ることしかできなかったこれまでの選択が、「正解であったと成る様にする事」。
これが今の僕の目標です。
あらためて、このnoteではそんな自身の体験や実績をデータベース化し、僕にとっては備忘録として、読んで頂ける方には参考資料として、これも何か誰かの役に立てたなら本望です。
そんなSTORAGE ch、STORAGE noteを今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ところで、このスケルトン状態の、まだ "誰も何も入っていない物件" をSTORAGEに至るまでに好き勝手作ったことは、後にも先にも「これ以上面白かった店舗作り」はありませんでした。
そして当時といえば、実は小樽から札幌に勝負に出る事も視野に入れていたのですが。
ではなぜ、結局この場所をSTORAGEとしたか、の決め手なのですが。
この景色を見て、「小樽って素敵だな」と再認識し、ここで再スタートを切ることを決意した、それだけです。
きっと本当は心が疲れていたんでしょうね…。
まだまだ僕には長い四苦八苦が続きそうです。笑
最後まで読んでくれた方、有難うございました。
頂いたサポートはnoteはもちろん、YouTubeなど今後の活動費に使用させて頂きます。