もう、使い勝手のいい言葉リストに「コミュ障」の文字はない。

大学生の頃、周りの人とうまくコミュニケーションが取れず、怒られたり怒ったり、悲しまれたり悲しくなったりしていた頃、よく「コミュ障」という言葉を使っていた。

似た気質の人で集まって絆を深めるために「うちらコミュ障だよね」って言ったり、初めましての人の期待値を下方修正するために「私コミュ障なんで」って言ったり、「コミュ障」は私にとってさまざまな用途に使える身近な言葉だった。

この前、久しぶりに会う友達と近況トークをした。友達が「今の環境、コミュ障が多いんだよね」と言う。それに違和感を覚えた。縁遠さを感じる自分がいた。

コミュニケーション障害。それは、日常生活や社会生活のコミュニケーションで障壁を感じることだと思う。

自分の意見や気持ちが相手に届かず、悩んだ挙句に涙を流したことがある。それを回避するために極端に人とコミュニケーションを取らないようにしたことがある。うまくいかずコミュニティを弾き出されたこともある。
あの頃の自分は日常生活や社会生活を送るのに障壁があった。そういう意味で私はコミュ障だった。

会社勤めをはじめると、コミュニケーションの重要性が高まった。チームメンバーとの報連相に社内政治にクライアント対応。会社の中はコミュニケーションだらけだし、逃れられない。

一方で、一緒に考え導いてくれる人たちがいる。メールを添削してもらった。アポの前にシュミレーションしてもらった。MTGの後にフィードバックをもらった。大変だったけれど、1人で悩んでいた頃と比べて前向きになれた。スキルの問題だと割り切って継続してチャレンジできた。おかげで人並みのスキルと自信がついた。


いまでも、すべてのコミュニケーションが気楽に行えるわけではない。大人数でカラオケに行ったり、あまりにタイプが違う人と接したりすると戸惑う。けれど、毎日生きづらいほど困りはしてない。もう、使い勝手のいい言葉リストに「コミュ障」の文字はない。

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