見出し画像

あなたとは正反対の人こそ貴重な相棒になる 物事の二面性30

人は長所を持つがその反面短所も持つ。短所があるとどうしてもその仕事の成果は限られてくる。しかし短所を補う方法がある。ひとつは自分を修練し短所を克服する方法。もうひとつは短所を補ってくれる人と組む方法である。

右下と左下はOR型の人である。「大局観があり大雑把な人」と「大局観が無く繊細な人」だ。要はバランスが取れてない人。OR型の人は短所を持つが、長所も保てる。「大局観がある」反面「大雑把」な人は、「大局観がある」という長所と「大雑把」という短所を持つ。バランス型中庸を執ると個性が若干消える。大局観と繊細のバランスを執ると、もともと大局観があった人はその個性は少し消えるかもしれない。OR型はバランス型中庸をとる人に比べ、個性が消えないので長所を発揮できる。しかし「大雑把」という短所が残るので、その働きは限られてくる。

実際、世の中で大きな仕事をした人のほとんどはハーモニー型中庸を執る人である。図の上の部分の人。「大局観がありながら繊細」な人。これは非常に難易度が高い。ほかに例を挙げると「柔軟でありながら一貫する」「楽観的にして悲観的」「理想を持ち現実を見る」などふたつの相対立する要素が補いあい調和している人である。

ではOR型の人は大きな仕事は出来ないのか。そうとは限らない。OR型で大きな仕事をした人は数多くいる。OR型で成功した人の多くは自分の短所を補ってくれる相棒と組んだ場合である。

たとえば豊臣秀吉。秀吉はとても奔放な人だった。普通は実現不可能と思うことでも、積極的に挑戦する。秀吉は近親者に恵まれなかったが、ただひとり優れた弟がいた。豊臣秀長である。この人は無謀な秀吉と対照的で、着実な人だった。奔放な秀吉が大きな目標を掲げる。すると秀長がそれを実現するための現実的な手段を考える。このふたりががっちりとタッグを組むことで、豊臣家は極貧の百姓という身分から天下人にまで登りつめる。そのあたりは堺屋太一『豊臣秀長』に詳しい。

秀吉も秀長もOR型だったと思われるが、ふたりが組むことでものすごい力が生まれた。ふたりで組んでハーモニー型中庸が実現したのである。物事は「こんなのやってみようか!」と無邪気にアイデアを出す人と、「でもそのためにはこれが必要だよね」と冷静に分析する人の両方がいないとうまくいかないという。秀吉と秀長はその典型。

秀長は秀吉より先に亡くなったが、その時秀吉は「お前が死んだら、豊臣家はどうなるんじゃ。」と言って嘆いたという。実際秀長の死後、利休の切腹、無謀な朝鮮出兵が起こり、豊臣家は没落していく。

『言志耋録』に次の言葉がある。

書下し文
凡そ人は同を好んで異を喜ばず。
余は異を好んで、同を好まず。
何ぞや。
異は相背くが如しと雖も、
而もその相資する者は、必ず相背く者にあり。
例えば水火の如し。
水は物を生じ火は物を滅す。
水、物を生ぜざれば、則ち火もまたこれを滅する能わず。
火、物を滅せざれば、則ち水もこれを生じる能わず。
故に水火相及んで、而る後に万物の生々窮まり無きなり。
この理知らざるべからず。

現代語訳
多くの場合、人は自分と似た人を好んで、自分と違う人を好まない。
しかし私は、自分と違う人を好んで、自分と同じ人を好まない。
なぜか。
自分と違う者は、自分と相反するようだが、
互いに助け合う者は、相反する者同士である。
例えば水と火である。
水は物を生ぜしめ、火は物を消滅させる。
もし水が物を生ぜしめなければ、火もまた物を消滅させることができない。
火が物を消滅させなければ、水もまた物を生ぜしめることができない。
水と火が相互に助け合ってはじめて、万物はつぎつぎと生成して窮まりない。

地の陰と天の陽が交わって万物が生じるように、「奔放な秀吉」という陽と「着実な秀長」という陰がタッグを組むことで、大きな力が生まれた。それは秀吉と秀長が対照的な個性を持っていたからである。「奔放さ」の裏側にある「無謀さ」を補えるのは「着実さ」であり、「着実さ」の裏にある「消極的」を補えるのは、「奔放さ」である。相対立する者同士だからこそ互いを補えたのである。

スティーブ・ジョブズはこの原理を深く理解していたようである。スティーブ・ジョブズはカリスマである。優れた人たちをうまくまとめあげ、ビジネスを行う。オーケストラの指揮者のような人。

ジョブズはアップル社を立ち上げた時に、スティーブ・ウォズニアックという凄腕のプログラマーと組んだ。ふたりとも名前がスティーブで「ふたりのスティーブ」という。ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』から引用する。

感動的な回路基板とそれを動かすソフトウェアは、個人の手によるものとして20世紀有数の発明だが、この歴史的偉業はウォズニアックの業績である。しかし、ウォズニアックのボードを電源やクールなケースと組み合わせ、フレンドリーなパッケージにまとめたのはジョブズである。ウォズニアックのマシンを中心に会社を興したのもジョブズである。
「ウォズはたしかにすばらしいマシンを作ったが、スティーブ・ジョブズがいなければ、そのマシンはマニア向けの店でほそぼそと売られるだけだったろう。」と後にレジス・マッケンナが語った通りなのだ。

ウォズニアックの技術力とジョブズのカリスマという対照的な長所が組み合わされて、偉大なアップルIIという商品が生まれた。さらに引用する。ふたりは能力も性格も対照的だったという。

「まったく似ていないふたりでしたが、パワフルなチームでした。」とウェインは評価する。ジョブズは悪魔が憑いているのではないかと思うような言動をすることがあったが、逆にウォズはナイーブで、天使とたわむれているような人物だった。ジョブズはいつも強がっており、場合によっては他の人々を操ってでも物事を推進した。またカリスマ性があって魅力的だが、冷酷な面も持ち合わせていた。一方ウォズニアックは友達付き合いが苦手で恥ずかしがり屋で、だからこそ子供のようなかわいげがあった。
「ウォズは得意な分野ではすごく優秀なんだけど、知らない人にどう対応するかについてはまるで子供で、もしかしたらサヴァン症候群なんじゃないかと思うほどだ。僕等はいいペアだったよ。」とジョブズは評している。
ジョブズは魔法使いのようなウォズのエンジニアリング能力に惚れこんでおり、ウォズはジョブズの事業にかける意気込みに惚れこんでいるのも良かった。
「いろいろな人に連絡して無理を通すなんてぼくにはできっこない。でもスティーブは知らない人にでも電話して、いろいろやってもらっちゃうんだ。」とウォズニアックは言う。「スティーブの場合、頭がいいと思わない相手に対してはずいぶんと失礼なこともしちゃうんだけど、でもぼくにつらく当たったことはないんだ。ずっとあと、彼が望むほどのレベルに自分が応えられなかったんじゃないかと思う時期になってもそうだったよ。」

ジョブズとウォズニアックは非常に対照的だった。ジョブズは相手に能力がないと思い込むとその人に対し非常に失礼なところがある。しかしウォズニアックこそ自分の足りないところを補ってくれる人だと十分な自覚があったため、ウォズニアックには一切つらく当たらなかったのである。

ジョブズとウォズのふたりでハーモニー型中庸が実現している。

スティーブ・ジョブズは一時期ピクサーにいたこともある。そこでラセターという優れたアーティストとコンビを組んでいる。『スティーブ・ジョブズI』から引用する。

ラセターは陽気で社交的、誰とでもすぐ仲良くなるタイプで、シャツは花柄のアロハ、オフィスにはよくできたおもちゃをたくさん持ち込むし、チーズバーガーが大好きだった。これに対してジョブズはすぐに突っかかるやせこけたベジタリアンで、身の回りはできるだけ簡素にしたいタイプだった。しかし相性は抜群に良かった。ラセターはいわゆるアーティストであり、それはつまり、ヒーローかまぬけかというジョブズの分類で良いほうに入ることを意味する。ジョブズはラセターに対して丁寧に接し、その才能を心からたたえた。一方ラセターは、芸術を理解し、それを技術や商業と折り合わせる方法を知るパトロンだと正しくジョブズを見ていた。

やはりラセターとジョブズは対照的な性格と能力を持っていた。対照的だからこそ補い合えた。ジョブズは常に自分にないものを持っている人と組む。佐藤一斎が言う「その相資する者は、必ず相背く者にあり」「互いに助け合う者は、相反する者同士である」という原理を深く理解していたと思われる。

我々は「自分にはこういう短所があるから、ああいう能力が無いから無理だな」と思いがちだが、ジョブズはそう思わない。自分に足りないところがあれば、それを補う相棒を探す。そういう人が見つかれば自分の短所は消え、自分の長所も生きてくる。

SONYの創業者は井深大と盛田昭夫である。技術の井深、営業の盛田という。この対照的な二人がコンビを組んでSONYという世界的企業が生まれた。

上の写真はふたりが腕相撲をしている写真である。対照的な二人が仲良く対立しながらがっちりコンビを組んでいる様子があらわれていると思う。松下幸之助も対立と調和が重要だという。『一日一話』から引用する。

労使の関係は常に「対立しつつ調和する」という姿が望ましいと思います。つまり一方でお互いに言うべきは言い、主張すべきは主張するというように対立するわけです。しかし同時にそのように対立しつつも、単にそれに終始するのではなく、いっぽうでは受け入れるべきは受け入れる。そして常に調和を目指していくということです。このように調和を前提として対立し、対立を前提として調和してゆくという考えを基本に持つことがまず肝要だと思います。そういう態度からは必ずよりよきもの、より進歩した姿というものが生まれてくるにちがいありません。

対照的な二つの個性が組んで大きな仕事をする事がある。もっとも全く共通点がないとそもそも会話が成り立たない。共通点は必要である。しかし共通点しかない場合もよい相方にならない。共通点がありながら対照的な人が良い相棒になるのではないかと思う。

自分はOR型でハーモニー型中庸をとれないからといって諦めてはいけない。バランス型中庸をあえて取らず、OR型をキープし、自分の短所を補う信頼できる優れた相棒を探すというのも一つの選択肢である。

『三国志』にも似たような例はある。曹操という英雄が出てくる。彼は偉大な徳を持つと同時に、優れた知を持っていた。徳と知を兼ね備えていた。ハーモニー型中庸をひとりで実現していたのである。

その曹操のライバルに劉備という人がいた。彼は偉大な徳を持っていた。しかし知は持ち合わせていなかった。OR型。OR型でも自分の短所を短所として認識し、それを補う知者を沢山用いれば良かったのだろうけれど、彼は知者は口先だけと考え重視せず、勇敢な豪傑ばかりを用いた。それでうだつが上がらなかった。

しかし人生の後半でようやく反省し、諸葛孔明という非常に知的に優れた人を丁重に迎えてから、急速に力をつけ始める。劉備の徳と孔明の知が互いに補い合い強力な力を発揮し始める。

これも対照的なふたりが組むことで、非常に大きな力を発揮した例である。OR型の人はハーモニー型中庸のライバルを見て、自分はOR型だからハーモニー型には勝てないと思いがちであるが、劉備と孔明のように対照的なふたりが組むことで、ハーモニー型の曹操を超えることができる。実際『三国志』は前半は曹操が主人公で、後半は孔明が主人公と言われる。孔明が出仕してからは、曹操は存命中であったにもかかわらず、時代は劉備と孔明のコンビを中心に動いていく。

自分と対照的な人と組むとものすごい力が生まれる。自分の能力が何倍にもなったかのような錯覚を覚える。

OR型の人がバランス型中庸を執るのはひとつの有力な方法だ。しかしあえてOR型をとりながら個性を消さずに、短所を補ってくれる人と組むというのも有力な方法だ。どっちがいいのか、両方を組み合わせたほうがいいのか、それはケースバイケースとしか言えない。

しかし自分の短所を補う人と組む場合、信頼できない人と組むと当然とんでもないことになる。

スティーブ・ジョブズは自分の長所と短所をよく理解していたようで、自分の短所を補ってくれる人と組むことが多かったようである。ジョブズはカリスマではあったが、CEOには向いていないという自覚があったようだ。自分の短所を知るのは重要だ。そしてジョブズは最初のApple時代、スカリーというひとを信頼できる人と思ってCEOとして迎えた。しかしスカリーは実は信頼できる人ではなく、その後ジョブズをAppleから追放した。ジョブズのいなくなったAppleは低迷の時期に入りマイクロソフトに圧倒され始める。Appleが再度勢いを取り戻したのはジョブズがCEOに戻った後である。当然ながら信頼できない人と組むと致命傷になる。

同じタイプの人との連携は容易ではあるが、おそらく効果は少ない。違うタイプとの連携は難しいが、うまく行くと効果が大きい。『言志耋録』から引用する。

書下し文
人の我に同じき者あらば、共に交わるべし。
而もその益を受けること甚だ多からず。
我に同じからざる者あらば、共に交わるべし。
而もその益は則ち少なきに非ず。

現代語訳
自分と性格や趣味が同じ人がいるが、交際するほうが良い。
しかし得るところは多くないだろう。
自分と性格や趣味が違う者がいれば、交際するほうが良い。
そして得るところは多いだろう。

自分と同じタイプの人から学ぶことは実際には多い。しかし自分と違うタイプの人から学ぶことはもっと多い。自分と違うタイプの人が自分の知らない世界を教えるし、自分の短所を補うから。しかし違うタイプの人と付き合うことで影響され過ぎて、自分の個性を失う危険性もある。このへんはバランスをとらないといけない。

ゲーテの『格言と反省』から引用する。

自分と似たものを愛し求める人もあれば、
自分と反対なものを愛しこれを追及する人もある。

ゲーテは恐らく自分と違うタイプのものに新鮮さと強い魅力を感じたようである。私は両方。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?