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深夜のラーメン屋

 昨夜、久しぶりに上野で飲んだ。久しぶりというのは、上野でというのと、仕事の顧客だが人としてとても魅力的で尊敬している若い人とというのと、そもそも外で飲むのがという諸々が合わさったものだ。そういうことなので、誠に楽しい酒だった。
 その帰り、地元の駅で電車を降りて、もうバスの無い時間だったのでいつもだったらそのままタクシーに乗る所を、空腹に付き合って駅前の飲食街に歩いた。そして、一軒のラーメン屋に入った。こういうことをするのも久しぶりだった。いや、外で飲んだ後に食べるのは、多少健康に気を付けるようになってからは避けるようにしていたので、久しぶりどころではなく、店の戸を潜った時には、まるで初めての経験をするような緊張感さえ覚えた。
 注文したのは、醤油ねぎラーメンだ。ねぎは好物で、他に塩味と味噌味があったが醤油にした。昔も酒の後は醤油にしていたような気がする。今はどうか分からないが昔はどの駅前にも屋台が良く出ていて、そういう所のラーメンは醤油一択なので、それを覚えていたのかもしれない。
 待っている間はスマホを弄った。スマホが無かった時には、こういう間をどうしていたっけと思う。カウンターは客で一杯で待ちもいる。どこを見ていたのか、手元をぼんやりと見ていたんだっけ。スマホは誠に便利なものだ。
 ラーメンが出てきた。小ぶりの丼だ。家庭用のラーメン丼みたいだ。しかし、それに、麺とスープと一切れのチャーシューがぎゅうぎゅうと詰まっている。もちろん、ねぎは溢れるくらいに盛られている。横の客には普通のサイズの丼が渡っている。ここではあれが大盛り用ということになる。
 スープには油の塊が浮いている。豚骨ラーメンよりもギトギトしている。家系とか何かに分類されるのだろうか。私はその辺りは詳しくはないが、この店ももしかしたらそれ系の店として、好き者には名が知れているのかもしれない。
 先ずスープを一口飲んでみた。見た目とは違って、割とあっさりしている。オーソドックスな醤油味だった。次に麺を啜る。太い。そして硬めだった。美味しい。
 しばらく食べるのに熱中して、息継ぎに顔を上げた。スマホは見ない。こういう時にもスマホで動画なりを流しながら食べる人がいるが、私はそれはしない。すると、カウンターに座った客達の顔が見えた。そして、ああ、これを見ていたんだと思い出した。
 皆、視線を落としてラーメンを食べている。時々私と同じように顔を上げる。互いに視線が合わないようにするが、思わずふと交差することもある。皆、沈んだ顔をしている。疲れているというのではない。暗いというのでもない。ふっと抜けている。魂が抜けている。悪い意味ではない。デフォルトに戻っているということだ。日中、会社や学校では魂を体内に強く込めなければならない。これから家に帰って服を脱ぎ捨てても、家族向けの親近という形の構えを取る必要はある。その狭間で、赤の他人の羅列の中で、ほんの束の間、抜ける。
 そして、これまでこの光景を幾度となく見たことに気が付く。東京に出てきたばかりの時に大学のコンパで深酔いしたまま一人のアパートに帰る途中でも見た。仕事のキックオフや打ち上げの帰りにも見た。恋人と気持ちよく飲んでいたのに何故か途中から険悪な雰囲気になって別れるの別れないのと言い合った帰りにも見た。
 切なくなる。そういう過去を思い出したからばかりではない。魂が抜けて気が緩んだからばかりでもない。この世界のあちこちに、今も昔もこれからも、ひととき同じような顔をしている無数の人々がいることを想ったからだ。

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