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教育現場にも「アドボカシー」が必要だ

アドボカシーとは、「擁護・代弁」という意味らしい。
最近(というか、ここ数年ほど)、私はこの「アドボカシー」というものに興味を持っている。

なぜかといえば、自分が働いている不登校支援の現場でも、この「アドボカシー」という概念が重要だと感じているからだ。
そして、重要だと感じつつも、実際にはなかなか実践できていない歯がゆさを抱えているからだ。

不登校の子どもは、学校に行けない、行きたくない理由があるはず。
でもそれを、直接周囲の大人に言えないことも多い。
その障壁を脇に置いて、子どもの立場を最も尊重して意見を聞くことができ、なおかつ子どもの権利を当然尊重することが、この「アドボカシー」の考え方であるはず。

この考え方は、現在の教育現場ではまだまだ不足しているのではないだろうか?
流石にあからさまな体罰や威圧は少なくなってきただろうが、相変わらずニュースでは何故そんなことを?と首を傾げるような事例を目にすることもある。
私の周囲でも、それは流石にないだろ、という行為を行ったという声も聞く。

私の肌感覚でしかないが、子どもの「権利擁護」などという概念は、未だに教育現場の中には浸透していないと感じている。

だからこそ、この概念を教育現場に浸透させて貰う必要があると考えている。
そうでないと、子どもの意見表明が適切になされず、意見を言ったとしても抑圧されてしまう可能性が未だにかなり高い状態になっているため、子どもの権利が守られないからだ。

確か、国の方でもそういう機関を作ると、子どもがわがままになる…?家族の概念が崩れる…?だっけな?うろ覚えなんだけど、あまり良く思っていない、みたいな理由で、意見がかわされていた記憶がある。

まあ、いち自治体の片隅でもにょもにょしている状態からでは、国の動向がどうだとかこうだとか言えないけど、とりあえず、今自分が関わっている子どもたちに関しては、アドボカシーをもっと勧めていけたらいいなと思っている。

まじでメモ。

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