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関西人が関東に住んで感じる言葉のアウェー感

結婚して10年が経った。
同時に、関西から関東に引っ越してきて10年でもある。
引っ越す前は、知らない土地へ行く不安や、知り合いが1人もいない環境へ行く心細さなど、もちろん多少の心配はあった。
でも問題は、そこではなかったのだ。
「言葉」だ。
たかが同じ日本国内の引っ越しで、わたしは言葉問題に大いに苦しめられることになった。

大阪で生まれ育って30年のわたしが関東で暮らし始めたとき、よく思っていたのは「なんかしんどいなぁ」だったと思う。
異国に来たかのような感覚なのだ。
知らない土地だからある意味異国といえば異国なんだけど、そこまで大した気持ちで引っ越してないもんだから戸惑う。
そりゃ「引っ越し先は韓国」「アメリカです」とかだったら事前準備も変わってくる。
言葉だってある程度勉強すると思うし、文化の違いだって調べる。
でも関東だし。
田舎に行くわけじゃないから、関西出身の人もそれなりにいるだろうと思ってた。でも全然いない。いたのかもしれないけど、わたしの周りには全然いない。

まぁ仕方ない。
実際初めての土地ではあるから、少し開拓していかなければ!
と思い行動するんだけど、どうもおかしい。
わたしがしゃべると、微妙に変な空気になるのだ。
「言葉、なまってますね」と、はっきり言われたこともあった。
ヘラヘラ適当に流したけど、
(はぁ?なまってへんし)
(正しい大阪弁しゃべってるしな!)
と荒れる心の中。
買い物とかしてて店員さんとしゃべったときなんかにも、周りの人達がチラッとわたしのことを見るのだ。

短期の仕事の面接に行ったときのこと。麻布十番の、モデルルームの案内係みたいな仕事だ。
面接に行くと開口一番「お言葉が関西ですね」と言われた。
面接の最後には、
「土地柄、それなりの方が来ますので、そのお言葉ではちょっとむずかしいです」
とのこと。
関西弁は、金持ちを案内してはいけないらしい。

関西弁なんてそんなめずらしいもんじゃないでしょ?
なにこの空気??
と思いながら、がんばって生活するわたし。
でもどんどん、
「思ってたんとちがうな」
「思ってたよりしんどいな」
と、疲れてきてしまった。
関東はみんな標準語をしゃべることくらいわかってたけど、こんなにも疎外感、孤独感を感じるとは思ってもみなかった。
自分の言葉を否定されるというのは、自分の今までを否定されたような気持ちになるのだ。

わたしは別にアナウンサーになりたいわけじゃない。
それなのに、関西弁のまま関東で生きるのはこんなに生きづらいのか。。
テレビを見て、「芸人はいいなぁ」と思うわたし。
芸人は上京しても周りにいっぱい関西弁仲間がいてうらやましい。
そんなことを考え、どんどん笑えなくなる毎日になっていった。

ダンナが出張で大阪へ行き、夜に電話があった。
「周りがみんな関西弁をしゃべってて、すごい孤独を感じるんだよね」
と平気で言うダンナ。
なんてデリカシーのないヤツだ。
わたしは毎日その環境で生きているのだ。
あんたは一泊で帰ってこれるけど、わたしはずっとこの環境で生きなければならないのだ。
そう怒ってもなんだかよくわかってない感じのダンナ。
ダンナは何度か引っ越し経験があるので、あまり大層に考えなかったのかもしれない。

標準語をしゃべったらいいんだけど、なかなか標準語をしゃべれなかった。
染み付いた関西弁はそう簡単に抜けないし、なにより自分が自分じゃなくなるような感じもした。
それに別に悪いことをしているわけじゃないのに、なぜ直さなきゃいけないのか。
とどのつまり、しゃべりたくないのだ。

しかし息子が2才のとき、そうせざるを得ないキッカケがあった。
よその子が、しゃべっていた息子に「いなかもん」と言ったのだ。

キョトンとする息子。
まぁ意味もわからないだろうし当然である。
息子はわたしといる時間が1番長かったこともあり、言葉のイントネーションが色濃く移っていた。
よその子の親が、その発言をたしなめている。
関西弁はこんなところにも弊害が出てくるのか、と愕然とした。
と同時に、わたしは何言われてもいいんだけど子供となるとそうはいかないなぁと思った。
子供はここで生きていくんだし。
……という思いで、わたしは標準語をしゃべり始めた。

するとまたちがうストレスを抱えるようになる。
「大阪出身なの?へぇ〜、ことば出ないね」と言われることが増えて、
(出ないんじゃなくて、出さんようにしとんねん)
(標準語しゃべってるのがえらいのか?)
と、これまたイライラするのだ。

しかし、やっとわたしは解決法を見つけたのです。

ある日テレビを見ていると、帰国子女のタレントが悩み相談をしていた。
朝起きてから2時間くらい経たないと、人としゃべったり、活動を起こす気になれないというものだった。
心理学者の先生が答える。
・バイリンガルのように2か国語以上しゃべる人は、脳でどちらの言語を使うか無意識に判断している
・自分では意識してないくても、脳がものすごく疲れる


・・・・・・なるほど!!

わたしは寝ているダンナを叩き起こした。
「わたしバイリンガルやった」
ちょっと何言ってるのかわからないダンナ。
「標準語と大阪弁を使い分けてるから、人より脳が疲れるんやて」
さらに何言ってるのかわからないといったダンナ。
この小さなキッカケひとつで、長いこと心にかかっていたモヤが晴れていくのを感じた。

今の職場に初出勤した日のこと。
「出身地どこ?」
「大阪です」
「大阪なの?へぇ〜、ことば、出ないね」
今までイライラしていた、よくある会話である。

「わたし、バイリンガルなんです」
「・・・・・・???」
「標準語と関西弁を、使いこなしてますから」
軽く笑いが起こった。

「バイリンガルって、英語とかのことじゃないの?」
「英語がしゃべれたら、トライリンガルですわ」

みんなが笑ってくれた。
ついにこの問題を乗り越えた!と、確信した瞬間でした。

結局、考え方ひとつだったんだなと思う。
ずっと、自分の言葉や気持ちを押さえて、関東に合わせなければならないと思っていたから苦しかった。
関西弁と標準語、2つを使いこなしていると思えばよかったのだ。
ラクになったし、わたしってバイリンガル!2つを使いこなすなんてスゴイ!と、調子に乗ることもできる。
どちらを捨てるとかではなく、どちらも自分のモノにする、という考え方で生きれば良かったのだ。


余談ですが、先日子供たち(息子と娘)がゲームをしていて負けたとき、
「なんでやー」
と2人とも叫んでいた。
わたしが子供に対して標準語でしゃべっても、
「なんでやねん」
「ほんま、さいあくやなー 」
と言ったりする。
おかしいな。
わたしがバイリンガルとしてうまく言葉を使いこなせているのかどうか、疑問に思える今日この頃です。

最後までお読みいただきありがとうございます!もっとがんばります。