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高松~丸亀旅日記・その2~骨付き鳥の選択

喫茶店を出て、アーケードを横切り、路地を抜けていく。
目当ての民芸品店に入る。

旅先では、地元の寺社を訪ねて「交通安全ステッカー」を手に入れることに腐心するのが常であるが、今回の高松では良い出逢いがなかった。

民芸品店は、その土地のローカル感のダイジェストといった趣きになってしまいがちであるので、なるべく細やかに、何気ない店舗に何気なく立寄って、何気なく当地のローカルを手にするのが、本来は理想的なのである。
しかし、妥協もまた必要なのである。

何しろ本来の目的である映画の上映まで、2時間を切ってきた。
今旅の主目的、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』は、市街地より少し離れたイオンモールで上映されている。私に残された時間は多くない。
そこで、外れを見越しながら、何気ない店構えの奥に潜んでいるかも知れない当たりローカルを引くために、次々と目ぼしい店舗を「たのもーー!」「たのもーーー!」突撃して、外れを引きまくる訳にはいかない。人生は選択の連続であるが、限られた時間のなかでの選択の連続である。限られた条件下でのベターな選択肢としての民芸品店。理想を描きながら、妥協を受け入れることもまた旅先での振る舞い方のひとつであろう。そうだろう。

民芸品店でキャッシュレス決済をしようしたら、
「dポイントはねぇ。こっちに金が入るまで何ヶ月もかかるんですよ。ペイペイが一番ありがたいんですよ。アレはすぐ入金されるから、ありがたいんですよ!」
と店主の方がおっしゃるので、なるほどですね、と答えて現金払いにした。

民芸品店でまさか得られそうもない情報を耳にして、キャッシュレス決済の選択肢にもまた、立場の違いによって理想と妥協が介在することを知る。

さっき食べたばかりだが、もう一杯くらいうどんを補給しておきたい。
映画を観終えて、再び夜の高松市街地に戻って来る頃には、うどん店の選択肢も狭まってしまうだろう。
そして、夜は骨付き鳥の優先度を高めたい。
ならば、イオンモールに向かう前に、もう一杯食べておきたいところである。

まさかの大山倍達。
マス大山イズム漂う店名に導かれるように店内へ。思えば大山先生の純白の道着から導かれる食としての解はうどんであるのかも知れない。豆腐でもいいような気もするが。ヨーグルトもあるな。カルピスは甘過ぎる。

圧倒的カリスマ性で一門を率いた大山の死後、舵取りを失った一艘の船のように四分五裂してしまった極真会館の有り様は、細く刻まれた麺いっぽん一本にたとえられるのかも知れない。また、この麵の世界でも数々の流派がしのぎを削りながら、最強を目指していくという意味においては、最強を標榜した極真イズムに通ずる世界観がある、といっていいのかも知れない。

白い麵。白い道着。とか前提を立てておきながら、画像ではその白さを際立たせることが叶わなかった。店内の照明のせいである。もしくは私のカメラのホワイトバランスのせいである。いつも誰かのせいにばかりしている。

しかし、うどんは美味かった。それは誰のせいなのか。ゴッドハンドの力である。

ことでんバスという名前の乗合バスに乗り、イオン東高松に向かった。
映画館のあるフロアに向かう途中に立ち寄ったガチャポンコーナーでは「アクションスネーク」に心惹かれたが、関節の表現が、もうひとつなのではないか?という疑念が湧き上がり300円の投資を断念する。

実際に買ってみなければ、自らの満足感を満たしてくれる一品なのかどうか、果たしてどうであったのかを確かめることは出来ないのであるが、私のなかに「アクションスネーク」への理想形が存在していることを発見したのは収穫であった。今回は自らの理想を守るために、妥協をやめた。そんなこともある。

映画を観終えた瞬間に、もう一度観る選択をする。
次の上映はレイトショー。2時間ほど時間があるので、一旦市街へ戻りホテルにチェックインし、夕食を済ませることにする。

高松での骨付き鳥の人気店は「一鶴」という店であるが、行列が出来ていた。

セルフうどん店と違って、こちらの行列はこちらが思うようなスピードで解消はされないであろうと思えた。
先ほど、足早にホテルでのチェックインを済ませたが、20時には再びイオン東高松に戻らねばならない。映画の終映時刻を考えると、骨付き鳥は今、今すぐに食べなければならない。またしても、選択と決断を迫られる。人生はかくも過酷である。

アーケードに戻ると、ダジャレっぽい店名の一軒が目に入ってきた。
もう時間はない。店名に「鳥」が含まれているから「鳥」を食べることは間違いなく出来そうである。少しおかしな店名を選んで入店している訳ではないが、結果的にそういう流れが出来上がっているのだとしたら、今回の旅はそういった流れの旅なのだろう。この旅の川の流れに身をまかせることとする。

大山倍達は、
「牛を川まで連れて行くのは人の役目。水を飲む飲まないは牛自身の問題だ」
と言った。高みに達した人の言葉は深い。意味がわかりそうでわからない。
高松に来て、骨付き鳥を食べると決めたのは私の決断だ。骨付き鳥をどこで食べるか決めるのもまた、私の決断である。
一向に高みを知らない私の言葉もまた、よくわからない。

骨付き鳥には、「おや」と「ひな」の2種類があり主な違いはその固さ、歯ごたえにある。
ひなは柔らかく、おやは噛みごたえがあるという。

年寄りは経験を積むことで、人生の幅を悟ってしまいがちである。自らにリミットを設けて、その固定観念から抜けられなくなる。選択の幅を自ら閉ざしているのかも知れない。
その点、若者は柔軟な発想で自らを縛らない。数多ある選択を、その若さゆえに誤ることもあるかも知れないが、それもまた自分を形作るための糧である。
「おや」を食べるのか、「ひな」を食べるのか、またしても突きつけられる決断の果てに、今回は「ひな」を注文した。

注文してから15分ほどが過ぎ、目の前のモニターに映る温泉番組がもう終わってしまった。「これは注文通っているのか?」と少し疑ったが、「ひな」の誕生にはそれなりの時間は必要である。

「ひな」は柔らかく美味しかった。しかし、その柔らかさは「おや」との比較によって実感できるものに違いなく、今私が感じている柔らかさは、私の個人的な鳥肉体験から弾き出された「柔らかい鳥肉」に過ぎない。

やっぱり2種類食べて、比較したうえで「ひなって柔らかくて美味しいねぇ」と感じたかった。しかし、そこそこのボリュームで、ポテトサラダも頼んでしまった私が「ひな」と「おや」を2本平らげることができたのかどうかには議論の余地がある。あまつさえハイボールも2杯飲んでしまった。15分も暇だったから。

やはり、旅は選択の連続である。逡巡や後悔もまた旅の醍醐味なのだ。2本食えたよな、食えたよ多分。

イオンシネマに戻り、本日2度目の『なぜ君は総理大臣になれないのか』の鑑賞を済ませ、ホテルに戻る。
もう、公共交通機関は動いてはおらず、夜の高松を散策しながら帰ることになった。

というのが、高松の初日、日付をまたぐ頃までの出来事だ。

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