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物に執着せず自由に生きるためのミニマリズムと樽の中のミニマリスト

今回は必要最低限の物だけで暮らし、心地よさや精神的豊かさを手に入れようというミニマリズムとそれを実践するミニマリストについて書いていきます。

このテーマはストア哲学と同じくらい好きです。

ストア哲学を知るずっと前から実践してきたライフスタイルで、なんといってもストア哲学と抜群に相性のいいライフスタイルです。
なぜ相性がいいかはこの記事を読んでもらえるとわかります。

ちなみに私と妻は昔から最終的にスーツケースひとつで生活できるようになるのが目標です。

私は倹約や家計管理についても15年以上実践してきていますが、このテーマもミニマリズムとストア哲学に本当に相性がいい。

この3つを融合したライフスタイルについても今後書きたいと思いますが、今回は史上最強のミニマリストについて語ってきたいと思います。

史上最強のミニマリストは「犬みたいな人」



さて、まずは史上最強のミニマリストの話から。

ミニマリズムは必要最小限のものだけで暮らすライフスタイルですが、人によっての必要最小限は異なるはずです。

だから、誰が何をどれくらい持っていても、その人にとって必要最小限であるなら良いわけで、他人と自分を比べる必要は一切ありません。

とはいえ、じゃあ人それぞれの必要最小限の量だけを比べてみたとき、その一点において最強だったのは誰か、というと・・・

古代ギリシャ哲学が生んだ奇才、ディオゲネスです。
またの名を「樽の中のディオゲネス」。
なんかの比喩とかじゃなく、本当に樽の中で生活していたためについた二つ名です。


古代ギリシャといってもアテネという当時の大都市で、その辺に捨てられていた使われてない樽を見つけて「ここに住もう」とか言って本当に住んじゃったんですから、当時のアテネ市民も衝撃だったみたいです。

ディオゲネスは若い頃はもともとは銀行家の父親と同じように金融業に携わっていたようですが、貨幣偽造のスキャンダルに巻き込まれて故郷から追放されてアテネに移住し、そこでソクラテスの弟子のアンティステネスに弟子入りしました。

ディオゲネスが出会った哲学はキュニコス派(犬儒派)という一派で、その名前のとおり犬のような哲学思想です。

何が犬みたいな哲学かというと、まず彼らは犬のように自然に従った何者にも縛られないシンプルな生き方を重視していました。

自分の内面を制御し、外部のものに依存しない自給自足の生活をし、物質的な富、名声などを幸福には関係ない、と軽視し、当時の社会の慣習などを批判していました。ちなみにこの哲学、皮肉や冷笑的な、という意味の「シニカル」の語源です。(シニック派とも言います)

あれあれ、これってどっかで見たことがあるような・・・?
そうです。この哲学、ストア哲学の産みの親みたいな哲学なんです。

なぜならストア哲学の創始者ゼノンは、このキュニコス派の哲学者クラテスの弟子だったからです。

まぁ、それはさておいて樽の中のディオゲネス、なぜ史上最強のミニマリストかというと、彼の持ち物は最終的に着ている布一枚だったからです。
彼の面白エピソードは色々ありますが、まずは所有物に関して。

こんなもんいらねぇ!



ディオゲネスは、物質的な所有物を最小限にすることを信条として生活し、基本的には衣服と食べ物だけで生活していましたが、水を飲むための木の椀だけは持っていました。

ある日、ディオゲネスは広場を歩いていると、男の子が手で水を飲んでいるのを見かけました。その光景を見て、ディオゲネスはしばらく立ち止まりました。

「この子供は私よりもシンプルに生きている。私はまだこの木の椀に執着していたのか」と、ディオゲネスは考えました。

その瞬間、彼は自分の木の椀を地面に投げ捨てて割ってしまいました。そして笑いながら言いました。「この子供に教えられた。私は手で水を飲むことができる」と。


はい、木の椀すら捨て、樽の中に住み、布一枚だけで暮らした史上最強のミニマリストがディオゲネスだというのがおわかりいただけただろうか。

まぁ現代だとこの生き方はいささか問題があって実践は難しいですが、ディオゲネスについて大体わかっていただけたかと思います。

続いてのエピソード。

ちょっとそこどいて



ある晴れた日、ディオゲネスはいつもどおり犬のように日向ぼっこをしていました。彼のシンプルライフは、豪華な生活とは無縁そのものでした。

その時、かの有名なアレクサンドロス大王が彼の元を訪れました。

「あなたがディオゲネスか?」とアレクサンドロスが尋ねました。

ディオゲネスはゆっくりと目を開け、王を見上げ、そうだと答えました。

アレクサンドロスは微笑んで言いました。
「私はアレクサンドロスだ。あなたの名声は私の耳にも届いている。今日はあなたに会いたくてここまで来た。何か望みがあれば何でも叶えてやろう」

ディオゲネスはしばらく考え、やがて口を開きました。
「ひとつだけ望みがある。少しそこをどいてくれないか?あなたの影が私の日光を遮っている

アレクサンドロスは驚きましたが、ディオゲネスの率直な答えに感銘を受け、後世に語り継がれる次の言葉を残しました。
もし私がアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスでありたいものだ

そこどいてよ

はい。ディオゲネスもアレクサンドロス大王もすごい、と思わされるエピソードです。

ディオゲネスは王様に「何でも叶えてあげるよ♪」と言われても、へつらいもせず「邪魔だからちょっとそこどいて」と言ってのけたわけです。
言った方も凄いけど、言われてこの人みたいになりたかった!って度量広すぎでしょ。そりゃ大王になるわ。

このエピソード、いかにディオゲネスがキュニコス派の思想を徹底していたかがわかりますね。

社会的地位や富や名声は幸福の源泉ではなく、重要でもなんでもない。
物も執着の一つの形に過ぎない。
執着を離れ、幸福で自由であるためには身軽でなければならない。

これはキュニコス派の思想でもあり、ストア派の原型みたいなもんですが、ミニマリズムの考えもよく似ていると思いませんか?

だからか、私はストア哲学に惹かれたのかもしれません。

物を手放すと心が軽くなるのはなぜか



あなたも、きっと物を手放してスッキリした経験があると思います。
そもそもなぜ物を手放すと爽快感というか、心が軽くなるのでしょうか。

それは、物への執着、管理義務、多くの選択肢からの解放が大きな要因だと思います。

どんな物でもそれ相応に思い出はあるし、管理の手間はかかるし、複数種類あれば選ぶ必要もある。それら全てから解放されると、心が軽くなるのは当然とも言えます。

だから人はミニマリズムや片付けに心地よさを見出すのではないでしょうか。

おわりに



ミニマリズム、最近はメディアでの一過性のブームはなんとなく去ったように感じます。

どんな良い思想や文化も流行り廃りはあると思いますが、ある程度落ち着いてからの方が流行りに便乗した人々も減るので腰を据えて取り組める気がしますね。

今後は物との向き合い方や人生をどう捉えるか、お金との向き合い方や倹約などについても発信できたらと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
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