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静かで穏やかな生活こそ幸福そのものだという話

私は昔から倹約も生活をシンプルにすることも大好きなんですが、その本当の目的は静かに穏やかに暮らすことなんですよね。

静かで心穏やかな生活は私にとっては幸福や豊かさそのものと言ってもいいくらい大切なことで、私の幸福はまさにここにあります。ストア哲学でも幸福とは心が平穏な状態にあることを指します。

静かで穏やかな生活といえば聞こえはいいですが、派手さは一切なく、悪く言えば地味な生活といって間違いないです。日常的に派手に遊んだり着飾ったり、人の注目が集まることとは程遠い生活です。

そんな生活面白くない、嫌だ!という人はただの価値観の違いなのでお互いを尊重し合いましょう。考え方が少し違うだけで、私たちは敵同士じゃありません。

欲望との向き合い方


で、私にとってシンプルな生活とは、慎ましく、足るを知り、少しの物で満足することです。これを通して静かで平穏な生活を実現しています。

これは複雑ではありませんが、簡単なことではありません。なぜなら自分の意志(情念・パトス)を、理性(ロゴス)でコントロールする必要があるからです。

もちろん私にも人並みに欲があります。美食や娯楽や見栄など、日々欲望は少しずつ沸いてきます。こういう欲望から理性によって静かで穏やかな生活を守らなければなりません。

欲望に対してどう向き合うかというと、それは本当に静かで穏やかな生活と引き換えにしてでも欲しいものか?と考えます。そうすると、大抵の欲は消え去ります。私にとっては静かで穏やかな生活以上に欲しいものなんてないに等しいのです。

仮に私が欲望に忠実に、毎日美食に明け暮れ、快楽を求めて遊び狂い、見栄のために身の丈に合わない借金をして家や車を買えば、間違いなく私の静かで穏やかな生活は音を立てて崩れます。

幸福や豊かさを犠牲にしてまで欲しいものなんて私にはありません。そして、この目的を達成するためにシンプルな暮らしを通して倹約し、ストア哲学を学んで日々役立てています。

最近ではその静かで穏やかなライフスタイルを体系立てたいということでnoteを書いています。もともとジャーナリングとしてお気に入りのシステム手帳に書いていましたが、人の目にさらすことでさらに色々学べると思っています。

本当の豊かさとは何か


古代ローマのストア哲学者セネカは、必要な物を持つこと、足るを知ることについて言及しています。また、今自分が持っているもので満足できない人は、例え世界の全てを手に入れても不幸なのだとも言い切っています。

裏を返せば真の豊かさとは、必要なものだけ持ち、それに満足できることです。これってシンプルな生活やミニマリズムそのものですよね。

欲望とは飲めば飲むほど喉の渇く塩水と同じです。必要な物を持ち、それに感謝して満足できれば既に豊かなんです。持っている資産額や給料の金額が問題なのではなく、考え方に問題がある場合が多い。そして豊かか貧しいかは、他人の目にどう映るかは関係ありません。

本当に貧しい人というのは、手に入れても手に入れても満足できない人のことです。もっともっと、あれが欲しい、これが欲しい。新しい物を手に入れ、しばらくしたらまた新しい物を欲しがる。この無限ループにハマっている人は、豊かさとは無縁です。

私は今持っているもので充分生活できる。ありがたい。この持ち物と境遇に満足している。そう言える人こそ真に豊かな人だと私は思います。

静かで穏やかな生活を手に入れるための第一歩


これまでは主に考え方を見てきましたが、「考え方」が最も重要なのは、豊かさが考え方次第であることからわかります。

人はあまりにもやり方を重視しすぎて、考え方を軽視しがちです。土台がしっかりしていなければ対処療法はできたとしてもその場限りで終わってしまいます。逆に土台がしっかり出来たならば、やり方が重要になってきます。

静かで穏やかな生活を手にいれるには、まず第一に豊かさについての考え方を変え、第二に身の回りの不用品を手放す努力から始めましょう。

自分に必要な物が少ければ少ないほどお金も時間も労力も掛かりません。物を必要な分しか持たず、情報、お金、時間、人間関係についてもシンプルにする。そこでできた余裕が、そのまま静かで穏やかな生活になり、豊かさに変わっていきます。

こう書くと簡単そうに思えるかもしれませんが、実際にやってみると実行も継続もなかなかに難しいものです。しかし、価値あるものは何でも難しいものです。

静かで穏やかな生活に近づくために、まず身の回りの物をシンプルにすることから始めしょう。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。他の記事もよければ是非ご覧ください。

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