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2021年4月「推すことが怖くなったことがある」

4月29日、推しがアイドルを辞めた。

10歳から13年間アイドルを続けた。私はそのうち9年間、リアルタイムで推しの活躍を追い続けた。

テレビで推しが踊っている姿を見ると元気をもらえる。バラエティ番組で推しが爪痕を残すと嬉しくなる。外仕事が貰えると1人でガッツポーズをしたくなるし、外仕事の反響があると「これがうちの推しだ」と誇らしく思う。

ライブのために仕事を頑張れて、DVDのために節約をする。推しに元気と生き甲斐をもらえる。推しがいることは楽しい。推しがいると日常が華やかになる。推しの幸せは私の幸せでもあった。

でも、楽しいことだけではなかった。どんなに良い子でも必ず良く思っていない人はいる。音楽番組やバラエティに推しが出るとSNSで粗探しをしたり、本人のアカウントにしつこく悪口を書いたりする人もいる。

推しを応援し続けた9年間は、自分自身にすら向けられたことのないような鋭利な言葉と向き合い続けた時間でもあった。

SNSで悪口を見ると、自分のことではないのに腑が煮え繰り返りそうなほどの怒りが込み上げてくる。ろくに話したこともない人のことを、見たこともない人たちが罵っているだけなのに。いや、だからかもしれない。どんな人が発しているかわからない言葉だからこそ、ひとつひとつの憎悪が赤の他人の私を深く抉る。困ったことに、見なければ済む話なのに何故か探しに行ってしまう。

9年間のオタ活の中で、一度だけ挫けてしまったことがある。

得体のしれない憎悪を戦っているのは本人なのに、推しに向けられる心無い言葉に私が耐えられなくなってしまった。推しとともに憎悪に立ち向かうのが怖くなってしまった。

それでも推しは、休養を繰り返したりしながらも絶対に戻ってきた。こんな世界に絶望せずに、ボロボロになりながらも立ち向かい続けた。

オタクにできることなんて、たかが知れている。というかないに等しい。だから私は、どんな選択であろうが、どんな道を進もうが、本人が決めたことなら絶対に応援し続けることだけはやめないと決めた。

そして今月、推しがアイドルを卒業した。推しとともに喜び、怒り、悲しんだ9年間が幕を閉じた。悲しい寂しいという感情よりは、身体の大事な部分が失われたような喪失感の方が大きかった。

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