承認欲求を肥大化させがちなADHD
こんにちは、底辺です。
私は、発達障害当事者さんと多く関わるためのSNSアカウントを持っているのですが、彼らの言動や振る舞いを見ると引っかかることが多いと思っていしまいます。
私が思うに、ADHD民は定型の方より数倍強い承認欲求、共感を求めているのでは無いのかと思っており、それは『ADHDあるある』という枕詞から滲み出ているのではないかとも思っています。
今回はなぜ人一倍承認欲求を求めるのか、どこに違和感があるのかについて当事者なりの考えをまとめたいと思います。
彼らは肯定されてこなかった
一番はやはり、小さい頃から自分の特性に理解のある人間が少なかったことにあるでしょう。
遅刻、先延ばし、集中のコントロールなどの我々が持つ特性が実害なりうるのは、特性の表面的な内容ではなく頻度、質、異常性にあります。
ですから、「そんなこと誰にだってある」と単なる元来人間が持ちうる怠惰性の話でまとめ、自助努力を促してくるのが、社会さまの典型的なリプライであり、ADHDの誰もが通る道でしょう。
つまり彼らは肯定されなかったのです。
しかし、ある程度時は流れ、年はとり、技術を手にする時がやってきます。
SNSです。
SNSでは、生々しいですが、関わる人を選ぶことができます。
ここにはあなたを単なるナマケモノとしか考えない、定型様ではなく、自分と同じ錘を担いだ同志しかいないのです。
この発達障害の桃源郷では、今まで共感を得られなかった人々が似たもの同士で承認欲求を爆発させるわけです。
#ADHDあるある
また、キャンパスに傘忘れてきたww
晴れるなよww
みたいな感じでね。
承認欲求の暴走の結末
今まで世間からの共感に乏しかった彼らにとって、突如としてくる同志からの共感フィーバーは、かなりの劇薬になり得ます。
こうなってくるとどんな些細なことでも、ストーリーに、TLに、ツイートに根こそぎぶん投げてしまいます。脳内麻薬恐るべしです。
もちろん気持ちはわかります。
私自身こうやって文字にして共感求めているわけですし。
ただ、そういう時にこそ、内容については考えてほしいのです。
何故なら、人を選んでいるとはいえ、共感されるほど「普通の人」に触れられる可能性が増えるからです。
私たちの苦労は、その中身を掘り下げてこそ、広く共感・理解されるべきなのです。
傘をよく忘れるからおかしいのではない、一月に10数本以上無くすからおかしい。
遅刻しがちだからADHDなのではない、ほぼ毎日遅れて、単位が取れないからADHD気質なわけです。
関係ない話ですが、お寿司が好物はおかしくありませんよね?
でも一日三食全部寿司が毎日で、矯正が困難とかだったら狂っているでしょう?
我々が同志に共感、定型に理解されるべきはこういう”普通じゃない”部分だと私は考えます。
もしあなたが、共感欲しさに異常さを無視し、一般でも当てはまることを無闇に投稿して
#ADHDあるある
なんてしたり顔でつけようなら、定型の人はADHDのことをやはり単なるナマケモノとしか思ってくれないでしょう。(実際はそうなのだとしても)
こういうところが社会から理解が得られない嘆きの淵源となっているのです。
何が言いたいのかというと、同志諸君の生きづらさをこんな安っぽく受けとられたく無いのです。
挙げ句の果てに、誰でも共感されるようなADHDの特徴ガン無視した発言まで出てこようものなら、それは承認欲求の暴走。
ADHDであることを全面に押し出すべきでは無いのです。
最後に
そうはいってもSNSは自由自在で、何をいうのも勝手です。
今回は一不適合者の問い(戯言)にすぎません。
しかし、我々のような人間が”よく”生きるために、社会における理解がすこしでも増えるためにも、目を通していただけたらなと思い、投稿した次第です。
考えるかどうかはさておき、自分のやり方に手を出すなというのなら全然構いません。
同志諸君の生活が一ミリでも良くなることを切に願っております。
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