見出し画像

死にかけて見つけたこと

3年前一度死にかけた話し。
大雪が積もった冬の北アルプスのある山に向かって仲間登っている時、その日は晴れていたが前日に気温が高く湿った雪が降ったようでラッセルがすごく大変だった。
雪が重くて時間がかかるけど、いつも来ているところだから大丈夫だろ。
大したことない地形だし。と安直な考えで谷を上がっていると突然「バフッ」と音がして目線を上の方に向けると地割れのようにさっきまで綺麗な雪面が地割れのようにバラバラと崩れて、自分の足元まで広がり
「雪崩だ」と思った途端ものすごい力で身体がごと谷底の方に持っていかれ
まさに青天の霹靂といったところだ。

「あ、ここまでか…
ここで死ぬ運命だったのか。
妻はどうなるんだろ。息子の成長を見たかったな」
などと頭が過った。

その時1本の細い白樺の木が目に入ってこれを掴むしか無いと思い心許ない細い木だったがなんとか手が届いて、
「折れるなよ。頼む早く流れが止まってくれ。身体が千切れそう…」などと考えていたが、止まるまでの間はものすごく長い時間に感じた。

仲間の方に目を移すと仲間もなんとか埋まらずに上手いこと横に抜けれたようで安心した。

今思えばここまでの時間は僅か15秒から20秒くらいの出来事だったと思う。

飛ばされた荷物を拾うためにデブリ(雪崩が堆積した部分)まで下がって雪をどけようとしたが、重く硬くて全然動かない。
もし、こんなものの下に埋まってしまっていたら絶対死んでいただろうなとその時改めて思い、それと同時に今まで感じていた人間関係によるストレス、自分の惨めさ、理想と現実のギャップによるストレスなどが一気に払拭されたというか、どうでもいい。ある種、諦めの気持ちになった。

本当だったら今死んでたんだ、でも生きてるからここから生きている分は、本当は無いんだから、どうなったって儲けだ!と思えた

そして仲間に近寄り
「いや、死にかけた。でも生きてるから良い経験できましたね‼︎」と言ったら
「馬鹿者」と怒鳴られた。

そして、雪崩に巻き込まれてまで山頂を目指す気にもならなかったので、トボトボと下山しながら、もしさっき死んでたらどうなっていたかを考えた。
家族のこと、同僚のこと、職場内のことなど子供はまだ小さかったので理解出来ないかもしれない。大きくなってからお父さんはどういう人だったと伝えられるのか、弔辞を読んでもらえるとしたらどんな内容なんだろう。葬式に来てくれる人はどんな顔をしてるんだろ。
そして、その自分の想像が自分の理想とはかけ離れている事に気づき、これからは本当に大切に思うことだけを優先的にしよう。
人の顔色ばかりを窺ったり、やりたくも無いことに無理に神経をすり減らす必要ないと思えた。

人なんかいつ死ぬか分からない。
来年かもしれないし、今年かもしれないし、明日かもしれない。
でもいつか死ぬ事は絶対だから、ある意味諦めて今からでも遅くないから後悔しないようにやっていきたいと思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?