はじめに Twitterが今年だけで三回凍結された。もう二度とアカウントをつくらないかもしれない。イーロンありがとう、俺の穏やかな居場所、楽しい駄弁り場、一番足の速い情報ソースは役立たずのゴミ溜めになって死にました。 そういうわけでちょぼちょぼとした情報しかインターネットは僕に与えてくれないわけだが、ここ数日『百年の孤独』に関して非常に盛り上がっている一部の奇特な人たちがいるようで、ちょっとよく見てみると『百年の孤独』が文庫化されるらしい。マジで?ゼミのたびにカバンに投
まずは 最近祖父の葬儀があって、それとこのアルバムを聞き込み出した時期が重なった。思うところあり、カッコいいロックなので紹介したいと思ってこうして書いている。(ここまでは2020年の下書き。PUNK SPRINGでMCRが日本に来るので意を決してこれを書き上げ、公開することにした) アルバムの話をするにあたって世の中には二通りの○○が〜という定型文を用いるとしてそれでロックを説明するならば、名盤とクソ盤あるいは芸術(作品)と資本(商品)だとか関係は様々作れることと思う。
2019年に書いたメモを発掘した。少し整理して解放する。 溺れるのが辛いのは、水を飲んで苦しい、息が出来なくて怖い、平衡感覚を失ってパニックになる、というのは勿論のことなのだが、小さい頃に溺れたことを今思い返してみるとどうも溺れるのことの本質的な辛さは「もがいても暴れてもどうにもならない」ことにあるのだろうと思われる。 つまり一度溺れる感覚に掴まれてしまうと、もう何をやっても駄目なのである。そして諦めると、体は急に楽になって沈みだす。 鬱のような精神疾患の苦しみも根を
部活が辛かったんですよ。高校一年生の時の話です。吹奏楽だったんですけどね。まぁ強豪ってやつで、叱責の嵐、長時間の練習、少ない友達。暗い部室。こんはずじゃなかったな、そう何度か思いました。高校生活のはじまりは僕にとって、なんだか糢糊とした不安の連続がスターターになり、暗い淵へ押し出されていくようなダークなものでした。手触りの不明瞭な「力」に、不可抗力にひた押されて僕はなんだか凄く莫迦になっていました。 そんな無明の闇の中に射す光明はなかったものか。果たしてそれはありました。
人を助ける文章を書きたいと思っている。何に酔っているのでもなく、カッコつけでもなく、思い込みで胸が苦しくなるほど強くそう思っている。僕の言葉で助かる誰かがいたならば、「あぁ、この気持ちには名前があったのだな」と思ってくれる人が一人でもいたら、そう思っている。だから書くときは必死で書いている。 この夏休み、友人との企画で一冊出したあの短い文章のほかはnoteひとつ更新しなかったし、自分で書いている詩集だって、その他のどんな文章も世に出さなかった。書かなかったわけではない。た