見出し画像

昔好きだった人の話

 部活が辛かったんですよ。高校一年生の時の話です。吹奏楽だったんですけどね。まぁ強豪ってやつで、叱責の嵐、長時間の練習、少ない友達。暗い部室。こんはずじゃなかったな、そう何度か思いました。高校生活のはじまりは僕にとって、なんだか糢糊とした不安の連続がスターターになり、暗い淵へ押し出されていくようなダークなものでした。手触りの不明瞭な「力」に、不可抗力にひた押されて僕はなんだか凄く莫迦になっていました。
 そんな無明の闇の中に射す光明はなかったものか。果たしてそれはありました。僕は女の子が好きです。率直に言って、自尊心と性欲が結構仲良しです。「男なので」と、そういう言葉で片付けたくはないですが、ある程度はそうです。女の子に優しくしていたい。そして優しくしてもらいたい。何も持て余さないくらい丁寧に僕の全てを理解してもらいたい。そういう煩悩、己の低俗さと、形だけの高尚な理想、誰も傷つけたくないという無理との狭間で懊悩していたし、今でもしているし、そしてそうある以上はこれからもそうでしょう。
 さて、そんな僕のしみったれた回想はつまらないものです。過去に対して美化か憐憫のフィルターをかけてしか見返せないので、これは正しくない記憶です。ですが彼女の実在は紛れもない事実だし、彼女に救われた僕の存在も事実です。こんなに大袈裟に書くことはないかもしれないけれど、人が出会う奇跡とか、生きている奇跡っていうのは本当に奇跡なんですよ。みんな意識しようとしていないのでそれらは奇跡なんです。目の前に取って見ることでそれは朧げな奇跡ではなく事実になりますし、僕はあの手の汗と涙と、夏空と、そういう色々を事実として留め置きたいんです。もう忘れかけているから。

 こないだの夜、急に思い出したんです。もうLINEも久しくしていなかったその子に用事があって、久しぶりに連絡を取った夜のベッドで、その情景は急に立ち上がってきました。
 高校から家までバスがあります。当時僕は普段は自転車通学でしたがたまにバスを使っていました。暑い日なんかは自転車漕いでると死にたくなりますからバスに乗っていました。意志薄弱。彼女はクラスメイトでした。七月の文化祭の時期まであまり話したこともないただの出席番号30だか31だかの、ちょっと顔の良い女の子。ただそれだけの記号でした。それが急に人格を持ったのはクラスの出し物を準備しているときに莫迦特有の気安さで話しかけたときでした。「良い人だな」、単純にそう思いました。帰りのバスが一緒だったので話しました。次の日も教室で少し話して、バスでは隣に座りました。冷房が効いていて、学生で混み合った車内で隣に暖かい体温が凄く嬉しかった。何回か隣に座っているうちにその匂いに気がついて、何か凄く生暖かくてぬるぬるとどす黒い気持ちが沸き起こってきました。それはもう、ムラムラと。
 さて、部活は辛かった。慣れない新生活、出来ない友達。広がらない交流の輪。普通科と違うクラスでしたからともかく学年の八割と話す機会がない。空き時間は部活に吸われる。これはもう、こう言っちゃあ甘えなんですが楽しくやれって方が無理ですよ。だんだん気が病んでくる。こうなるともうダメですね。

 文化祭の前、夏のコンクールへ向けた練習は本格化し、文化祭での発表の練習も重なってくる。顧問はピリピリする。胃はキリキリする。もうてんやわんやですわ。
 ここらで彼女に名前をつけた方がいいですね。いつまでもただの代名詞じゃあつまらない。Aさんとしておきましょう。
 Aさんとは毎日一緒に帰れたわけではないです。だからこそ一緒になった日は嬉しかったんですね、偶然を偶然で済ましたくなくなり、それとなく彼女の来るのを待ったりするようにもなりました。

 話しかけると少し嫌そうにして、でも楽しそうにお話ししてくれるその機微が本当に心地よかった。僕にはバスの窓からの日差しも眩しかったし彼女の表情の一々が耐え難く眩しかったのですが、不思議なことに彼女もいつも眩しそうでした。きっぱりと細められたその目元をずっと眺めていました。左目の泣き黒子に気づいた日はもう、それは惑星の運行の法則を見つけたような大いなる衝撃を伴った発見の記念日でした。

 運命の日は来るのです。手を繋ぎました。事故のようにして、僕が動かした手は腿の上に置かれた彼女の手の上に着地してしまい、あ、といって彼女の方を見て謝ろうとしたとき、彼女はその手を握り返してくれたのでした。嬉しい、とか何故、とかですらなく、その時の僕の脳裏には何もありませんでした。掌で混ぜ合わされた二人の体温が渦になって、彼女の瞳と黒子に吸い込まれて溶けていきました。溶けていく景色はいつも迷っているわけではないのでしょう。彼女はきっぱりと、その決然とした茜色の眼差しで僕の世界を吸い込んでいったのです。

 ある日、僕は死ぬつもりでバスに乗っていました。思春期特有の思い込みです。どう死ぬのか、どんなタイミングで死ぬのか、遺書は書くのか、そんな実際的なことは何も考えずただ「今日自分は死ぬのだ」とかわいい決意を抱いていました。まぁ周囲に強い印象を与えよう、注目されて何かを変えてやろうという気持ちの先走りですね。誰しも一度は抱いたことのあるであろう、自分が死ねば何かが変わるのだという幻想です。果たしてその日の僕も、部活で嫌なことがあり(ない日などなかったのですが)、そういう「死ぬ気」を車内に持ち込んでいました。夕陽が恨めしかったです。なぜってあまりに綺麗なので。そして、ひとつ停留所を行ったとき、Aさんが乗ってきました。彼女は友達何人かと一緒に乗ってきたのですが、すぐに僕を見つけて手を振ってくれました。暖かい夕陽が一筋のカーテンを、その手のひらめきから僕のところまでかけてくれました。それでも死にたかった。ところがAさんは友達と別れて僕の隣にやってきました。もう死なないでいいかもしれない。だって世界が変わったから。

 「どうしたの?」 何ということでしょう、彼女は僕の辛そうにしているのに気づいてくれたのです。これは奇跡です。僕はぼそぼそと自分の嫌な気持ちを伝え始めました。全く整理のついていないネガティヴな感情ですから、聞くに堪えないものだったでしょう。でも彼女は深刻そうに聞いてくれたのです。そして「私に何かできる?」と。救いの言葉が飛び出てきました。手を握って欲しい、いや、あわよくば手を繋いで駅まで歩きたい。もっといろいろしたい、煩悩のオーバーフローです。『ソラニン』の歌詞みたいな燃え滾る恋慕を燃やしたい。10代の青年の脳味噌なんて大した仕事はしないのです。もう彼女と歩くバージンロードを幻視するまで2秒とかかりませんでした、本当にロクでもない恋慕です。

 さて、何を言ったか覚えていませんが、気がつくと彼女と僕は手を繋いで駅の一つ前の停留所でバスを降りていました。夕焼けの茜色のアスファルトには小さな花が咲いていたり、子供連れのベビーカーのカラカラという音が渡ったりと本当に綺麗でした。もう僕たち二人は話しませんでした。

 文化祭の当日、僕は貧血だか脱水だかになって倒れ、他ならぬAさんの膝枕で介護された後に担架で保健室に運ばれ、そこで文化祭を終えたのでした。そしてまたAさんと手を繋いで8分間歩いて駅につき、改札の向こうに消える彼女を見てから左手を何度も握ったり開いたりしながら家まで歩いたのでした。

 その後彼女とは卒業まで同じクラスで、どこに遊びに行ったことも、それどころか放課後に二人で会ったこともありません。

 今日も彼女は綺麗で、あの日の僕を救っているのだと思います。どこにいるのかわかりませんが、もう二度と会いたくないと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?